広報誌 SOUTHERN CROSS

 

 日常の暮らしのなかで馴染み深い漢方。アメリカでは数百億円規模の年間予算を投入し国立衛生研究所が補完代替医療や伝統医学の解明に力を入れ、中国や韓国でも国を挙げた取り組みが進められていると言います。
 それに対して日本はどうでしょうか。研究者のなかではアルツハイマー病の症状改善に効果のある漢方新薬の研究開発も進んでいますが、国の施策としてはおざなりにされている印象をぬぐえません。南東北医療クリニックで漢方外来を担当する関隆志先生を、所属する東北大学医学系研究科に訪ね、漢方の実力と可能性についてうかがいました。

漢方へのニーズは高いが、漢方専門医は少ない

わが国の医師には、漢方薬の処方と針灸治療の施術が認められており、漢方医という免許はありません。平成22年末のわが国の届け出医師数は295,049人ですが(注1)、日本東洋医学会の漢方専門医の数は2,148人で、医師数全体の0.7%足らずです。
 しかし、漢方薬を日常の診療において処方している医師は、医師全体の83.9%に及び、診療所においては93.3%において漢方薬が処方されているという報告があります(注2)。

漢方あるいは漢方薬への理解には誤解も多く含まれている

 漢方薬は長く飲まなければ効果が出ない、漢方薬は副作用がない、という誤解が蔓延しています。しかし、適切な漢方薬を適切な量で用いれば、30分ほどで効果が出てくることが多いのです。また、不適切な漢方薬を用いれば、心身を害することもあります。一般に使われるエキス剤の効果は小さいため、不適切な漢方薬を飲んでいても、はっきりと分かる副作用が出にくいということもあります。
 東洋医学は人の全体を見る全人的医療という誤解も広まっています。心電図や血液検査、レントゲンなどで分かることが東洋医学で分かるわけではありません。逆に、東洋医学の診察で分かることが西洋医学で分かるわけでもありません。つまり、東洋医学と西洋医学とは、ヒトや病を見ている部分が異なると言えます。だとすれば、両方を使うことでよりヒトや病の全体像が把握できると考えることができます。

注1)厚生労働省.2010年
注2)株式会社日経メディカル開発.漢方薬使用実態及び漢方医学教育に関する意識調査2012

ライフワークとしての伝統医学

東北大学病院では、去年9月までの9年間、先進漢方治療医学講座におり、去年の10月までの合計15年間、漢方と鍼灸の研究と診療を行ってきました。
 私のライフワークのひとつは、伝統医学の智恵を最新の医療に活かしていくということです。
 難病の治療もそのひとつですし、難治性疾患の全く新しい治療方法を考えるヒントが漢方にはある、というように、伝統医学から新しいものを掘り起こしていく。そうしたアプローチの仕方で漢方や鍼灸に取り組んできたわけです。
 新しい抗がん剤、インフルエンザの抗ウイルス薬というのは漢方薬や生薬(しょうやく)と呼ばれる天然の薬物などから作られているわけで、伝統医学は人類の宝であるとも言えるのではないでしょうか。

国の施策と医学教育

現在、WHO(世界保健機関)およびISO(国際標準化機構)では、伝統医学の国際標準化に取り組んでいます。  これは世界的な潮流で、各国がしのぎを削っていますが、中国が一歩先んじている状況です。ところが、日本、つまり漢方の場合は、極端に遅れていると言わざるを得ません。
 中国や韓国では国の財産として自分の国の伝統医学を活かそうと力を入れています。中国は貧困地域が多いこともあって、医療の底上げという意味もあります。と同時に、経済的視点から戦略的に中国伝統医学、つまり中医学の国際標準化に取り組んでおり、グローバルビジネスとして展開しようとしています。韓国なら韓医学(韓国の伝統医学)を展開しようと国を挙げてやっているわけです。
 日本の場合はどうでしょうか。明治以降の歴史のなかで、古くさい伝統医学なんて今さら、という感じですね。国の施策や医学教育がそうした欧米志向、伝統蔑視のような思考をつくりあげてきました。
 もしも、東アジアの伝統医学を中国や韓国に独占されるような状況になれば、日本にとっては医学のみならず大きな経済的損失です。国際社会にそうした潮流があることも知って頂きたいと思います。

漢方薬をめぐる深刻な事態

外来診療はほとんど保険診療で行ってきました。今、漢方薬はエキス製剤が中心で、おおよそ140銘柄ほどあります。メリットとしては単価が安い。
 一方、煎じ薬というものもあってよく効くんですが、これが中国からの輸入に頼っているため、すごく値上がりしています。病院で処方箋を書いてどこかの薬局でつくるわけですね。日本の健康保険というのは点数が決まっていますが、原料は自由市場で保険点数とは関係ありません。質の高い原料もあればそうでないものもあり、値段も違っている。そうした状況のなかで、薬局は逆ざやになることもあり、非常に深刻な事態です。何よりも生薬の国内自給率を上げる努力をしていくべきですね。
 年間の国民医療費が約35兆円と膨大なものになり、国の財政圧迫への危機感が高まっていますが、漢方のような安い医療に対しても援助する仕組みを整えていくべきだと思います。医療費高騰対策としても有意義なものになるはずです。

漢方診療での対象疾患

漢方外来と言うと、冷え症や生理痛、肩凝りとか、腰痛・神経痛、そうした症例が多いという印象があるかもしれません。しかし、私の場合、一番多いのは難治性疾患の患者さんです。
 西洋医学的にあらゆることをやって、それでもうまくいかない、そういう人を中心に診ていましたから、末期がん、いろいろな難病、緑内障の患者さんなどが多くて、ちょっとした肩凝りの患者さんなどには手がまわらない状況でした。大学病院の性質上、各科から〝治らない〟という患者さんを紹介されるので、そういう性格の外来になっていきました。だから、普通の漢方外来とは大分毛色が違うかもしれません。
 末期がんの患者さんも、たくさん診療しました。手術、放射線、抗がん剤などの治療を受けた患者さんの副作用を漢方と針灸でやわらげる、ということですね。うまく漢方で治療すると、髪の毛が抜けたのが生えてきたり、一例だけですが、がんがなくなるということもありました。患者さんが元気になるんですよ。
 「がんと言われる以前より元気になりました」という患者さんも結構いて、ある末期がんの患者さんは漢方薬を飲み始めたら、体調がどんどん良くなって、前向きに生きる意欲が高まり、何と家まで新築して、それでぽっくりいかれました。
 がんはQOLがどんどん下がっていくのが普通ですが、漢方や針灸をすると、QOLを維持、あるいは改善することにもつながるんです。レントゲンや腫瘍マーカーを見るとどんどん悪化しているのに、元気なんですね。そういうこともあります。


漢方治療の実際

何とかしてあげたいという気持ちで医者が治療しても、手段がつきることもあります。医者も、患者さんも、それでも何とかしたい。そういうときに介入するというのが、私の場合のスタンスでした。
 私が行っている診療のイメージですが、基本的な検査、診察は必ずやります。先進的な画像診断も含めた現代医療としての検査ですね。その上で漢方的な診断を行い、漢方的な治療を組み立てる。
 西洋医学的にどういう原因でこういうことが起きているのかを知った上で、今度は漢方の観点から診る。西洋医学で治療すべきことはして、プラスαで伝統医学、つまり漢方や針灸をやっていくわけです。
 もうひとつ大事なスタンスですが、自分がやっていることがちゃんと効いているのか、データを積み重ねてエビデンスをつくる。これは必要です。


治療効果の定量的評価

大学病院では、1人の患者さんに2~3時間お相手することが普通でした。すると、まだ治療していないのに、患者さんが「お話聴いていただいて何だかよくなりました」(笑)。たびたびあるんです。話しをよく聴くというのは絶大な効果があります。治療でもそういうことがよくある。しかし、そういうお話を信じてしまうのはあまり科学的ではないですね。本当に良くなっているのか、それを数値化していくことが大事で、これを私はずっとやってきました。
 すると、この患者さんのこういう症状にこういう漢方やツボ治療をするとこのくらい良くなる、というのが分かってくるわけです。それをやらずに、ただ西洋医学に伝統医学を入れても何にもならない。科学的な評価を地道に積み上げる。治療効果を定量的に見ていく。そういうスタンスでやっています。

アルツハイマー病の根本治療薬

薬剤の開発についても大きな動きがあります。
 抑肝散(よくかんさん)という漢方薬には、アルツハイマー病の物忘れ以外の周辺症状、例えば夜の徘徊や、変なものが見えたり、聞こえたりする症状や、暴言を吐いたり、という異常行動に対して効果があるということが分かってきました。これは、私と同じ研究室の先生が発見したのですが、私は陳皮(ちんぴ)という漢方薬で、アルツハイマー病の物忘れそのものを改善する薬の臨床試験を行っています。
 陳皮には副作用がなくて、しかも肝腎な物忘れに効果があるというデータが出ているんです。現在、アルツハイマー病の薬としてアリセプトがありますが、主に消化器症状の副作用もあるんですね。また、最初飲み始めて2~3カ月くらいは良くなるんですが、だんだん効果が少なくなってくる。ところがこの陳皮だと1年経っても良い状態が続く人がいる。夢の薬ですね。
 陳皮というのはみかんの皮ですよ(笑)。もっとも、普通の陳皮ではなくて、有効成分が普通よりも多く含まれたものを使います。ある地域で採れる特殊なみかんですが、ノビレチンというフラボノイドが非常に多く含まれているんですね。
 これは東北大学の薬学研究科の山國徹先生が、いろいろな植物を調べて見つけたものです。今ではN陳皮と呼んでいますが、有効成分を調べてみると、ノビレチンという物質だということが分かりました。

N陳皮生薬の不思議な効果

面白いのは、ねずみに有効成分の純粋なノビレチンを与えたときと、生薬のN陳皮を与えたときを比べてみると、純粋な化学物質を与えたときよりも、N陳皮のほうが物忘れが良くなるという実験結果が出ているんです。普通の西洋医学の薬の作り方は有効成分だけ抽出します。インフルエンザのタミフル、あれは八角(はっかく)という生薬ですが、そこから有効成分だけを抽出して薬にした。
 陳皮の場合は生薬そのもののほうが効くということで、これは、今までの新しい薬をつくるアプローチを根底からくつがえすようなものですね。とても不思議なことが分かってきて面白い状況です。

認知症に対するN陳皮新薬の効果

ほかの大学や複数の病院に協力を頂いて、N陳皮を用いた大規模な臨床試験を今、進めています。早ければその結果が来年の夏頃には出るはずです。新薬の開発につなげていきたいと考えています。
 ところで、アルツハイマー病については、もうひとつ大事な視点として予防がありますね。ところが、今のところ予防薬はないんですね。そこでN陳皮ですが、実は私たちはこれが予防にも効果があるだろうと考えていて、その臨床試験も今年度中にスタートする予定です。
また、認知症のなかで一番多いのがアルツハイマー病ですが、次に多いのが血管性認知症です。このN陳皮は、脳血管性の認知症にも効果が期待されます。その臨床試験も始めます。そうすると認知症の6~7割はカバーできることになります。世界中にインパクトを与えるような夢の薬です。みかんの皮なんですけどね(笑)。
アルツハイマー病にN陳皮は有効であるという臨床データが出ています。みかんの皮なんですけどね。

漢方生薬の栽培をめぐる現状


御薬園(会津若松市/鶴ヶ城東、徒歩15分)
会津藩主の庭園。寛文10年(1670)二代藩主保科正経(ま
さつね)が園内に薬草園を設け、各種の薬草栽培を開始。
三代松平正容(まさかた)の時代に整備拡充され、朝鮮
人参を試植してこれを広く民間に奨励したことから、御薬
園とよばれるようになりました。薬草園は庭の一角につく
られ、薬の効果の研究も行われていました。
昭和7年には徳川時代の代表的な大名型山水庭園として
国の名勝に指定されています。
 関隆志先生のお話によれば、漢方薬をめぐる最も大きな危機は、「わが国で使われている漢方薬の原料の83%(重量ベース)を中国一国に依存していること」。国内から供給されているのは12%(重量ベース)にすぎないと言います。
 日本では249種類の生薬(しょうやく)が医薬品の原料として使われていますが、そのうちの114種類が中国のみに依存している現状があるそうです(注)。
 「わが国では多くの生薬が栽培されていましたが、安い輸入品に頼った結果、ほとんど自給できない事態に至っています。生薬を栽培する生産者も高齢化が進み、後継者も育たない状況は危惧せざるを得ません」。
 こうした状況のなか、関先生が診療にあたる宮城県涌谷町では、東日本大震災からの復興まちづくりマスター・プランとして「生薬を活かした健康まちづくり」を掲げ、『生薬栽培及びその加工による漢方薬の製造等』に力を入れていると言います。
 一方、福島県では江戸時代から朝鮮人参が栽培され、会津人参として知られてきました。その生産高は全国第1位。会津藩が、御薬園で栽培した種子を民間に奨励したことにより、一大産地が形成されることになったのです。
 会津人参は品質が高いことから、中国などへの輸出も行われてきました。しかし、収穫まで5、6年もの歳月を要することや、栽培に多くの手間がかかることから、後継者不足も大きな悩みの種。その上、原発事故による風評被害は、生産者に少なからぬダメージを与えています。
 会津人参をはじめとする漢方生薬栽培の再生とともに、国内自給率の向上は、今後の大きな課題となっています。