広報誌 SOUTHERN CROSS

 

 
平成23年3月11日午後2時46分、東北地方を襲った東日本大震災によって、旧・保科病院は全壊の被害を受け、診療を継続することが不可能となってしまいました。
 しかし、南東北グループの心温まるご支援と厚意により、廃院という最悪の事態をまぬがれ、震災からわずか4か月後の平成23年7月1日には医療法人社団新生会「南東北新生病院」として病院を再生し、仮設病院での診療を再開することができました。
 さらに、2年が経過した平成25年7月には地上4階建ての新病院が完成し、理想的な医療環境のもと、地域医療に貢献すべく新たな一歩を踏み出すことができました。
 震災直後はもとより、仮設病院の期間は、郡山地区の病院や医院、医療関係者の皆様には大変お世話になりました。地域の皆様の温かいご理解・ご協力を賜り、2年間つつがなく診療を続けさせていただくことができました。本当に心から感謝申し上げます。

 新病院では、従来の一般病棟と医療療養型病棟に、新規に回復期リハビリテーション病棟も加えた新たな診療体制によって運営いたしております。
 これまでは亜急性期や慢性期の患者さんを中心とした診療や療養を行ってまいりましたが、今後は回復期リハビリテーションも診療の大きな柱として力を入れていく所存です。
 明るく清潔でゆったりとした空間を確保し、入院された皆さん全てが安心して治療やリハビリテーションを受けられるよう職員一同力を尽くしております。

 「全ては患者さんのために」

 私たちはこの院是を深く胸に刻み、患者さんやご家族の「心に寄り添う医療」を提供してまいります。
 患者さんの身体だけではなく、心の痛みも理解し、共感しながら、明日に向かって一歩を踏み出すお手伝いをしたいと願っております。
 福島県が震災と原発事故から立ち上がるにはまだまだ時間が必要でしょう。しかし、文字通り「新生」した病院として、元気な姿をお見せすることが震災復興のお役に立つとすれば、これに勝る喜びはありません。
 南東北グループの一員として、今後とも地域医療を守る使命感と奉仕の精神で尽力してまいります。
 皆様のご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。


廃院という最悪の事態を乗り越える

 2011年3月11日の東日本大震災から3年が経った。
 郡山市の旧・保科病院は、震災によって病院倒壊の危機という甚大な被害に見舞われたが、南東北新生病院として再出発し、廃院という最悪の事態を避けることができた。そして、2013年の夏には4階建ての新病棟が完成、3年という短い期間で病院復興を成し遂げることができた。
 南東北新生病院は総合南東北病院北隣の閑静な住宅街に位置している。もともとの土地にあった松林や桜の樹木を活かし、広々とした敷地に新病棟は建設されている。
 診療科には内科、循環器内科、消火器内科、呼吸器内科を掲げ、全部で156のベッドを持つ。
 1階のエントランスを入ると右に受付、左に待合ロビーが広がり、診察室と、CT、エックス線などの各種検査室がある。2階は一般病床(55床)で、3階が療養病床(50床)、4階は従来の介護に代わり回復期リハビリテーション病床(51床)を備えている。
 リハビリテーションルームは4階に置かれ、家庭での日常生活を想定した訓練を行う和室やキッチンなどを備えた機能回復訓練室は、3階に設置されている。
保科病院は郡山市の中心部にあった。東日本大震災の被害は甚大で、倒壊寸前という危険な状態の病院から入院患者さんを移送する転院先の確保に忙殺されることになった。
 何よりも患者さんの安全は最優先の課題だ。松本秀一院長の指揮のもと、全職員は一丸となり、地震から2日後の3月13日にはすべての患者さんを無事に転院、退院させることができた。患者さんの受け入れや搬送にあたっては、郡山市内の病院、医療関係者たちの多くの協力があった。
 しかしその2日後、患者さんの姿のない空っぽの病院で全職員に告げられたのは「解雇」という現実だった。
 「理事長に就任して最初の仕事が、全職員に解雇を告げることになってしまった。悔しかった」
 松本秀一院長は、そう振り返っている。
東日本大震災当時、保科病院で院長を務めていた松本氏は、震災直後の混乱のなかで、理事長職を引き受けざるを得ない状況になっていた。松本氏は診療不能という震災のなか、経営が困難になった病院再建の道を探るために奔走した。だが、自立再建は厳しく、断念を決意せざるを得ない状況にあったのだ。
 そんなさなか、南東北グループから思いがけない支援の申し出があった。それは、「総合南東北病院北側の隣地に仮設病院を建設し、病院を再建してはどうか」、というものだった。松本氏は、その後1週間考え抜き、同グループの一員として再出発することを決意した。
 そして、平成23年7月に医療法人社団新生会(渡邉一夫理事長)を設立、総合南東北病院北隣にプレハブの仮設病棟を建て、診療を再開することができた。病院職員は継続雇用が可能となり、一人の解雇者も出さずに済んだ。

地域診療を支える新たな診療体制


2013年7月1日の南東北新生病院オープンを前に、落成記念式典で
関係者がテープカットし、完成を祝う(6月30日)
 震災の日まで65年の歴史と伝統を持つ保科病院は、主に慢性疾患の高齢者を受け入れ、地域医療の一翼を担ってきた。もしもそれが郡山市から失われれば、地域医療全体への影響は避けられない。
 郡山市は、原発事故によって浜通りから避難を余儀なくされた多くの人たちを受け入れてきた。一時期、郡山市内にある福島県のコンベンション施設「ビッグパレット」は県内最大規模の避難所として最大2500人の避難者であふれたほどだ。当然、郡山市内の医療施設も、外来や入院患者の受け入れに苦慮せざるを得ない状況が続いていた。  医療資源は限られている。しかも、郡山市には保科病院のような療養型の病院は少なく、その存続がどうなるかは、地域医療にとっての死活問題であり、地域の復興にとっても欠かせないものだった。 旧保科病院は南東北グループの支援を受け、仮設病棟を建設、南東北新生病院として再生することができた。  だが、仮設での診療が可能なのは2年間に限定されている。そのため、仮設病院と同じ敷地内に新病棟の建設が急ピッチで進められることになった。  2013年7月1日には待望の4階建ての新病棟が完成した。。オープンに先立ち、6月30日に開催された記念式典では、渡邉一夫理事長が「壊れた病院を再建した南東北新生病院は復興の象徴。多くの県民のために活躍する拠点となる病院を目指したい」とあいさつし、松本秀一院長が決意を述べた。 新病棟は免震構造を持つ耐震性の高い建物である。広く清潔な病棟では、旧来の介護療養病棟を新たに回復期リハビリテーション病棟として特色ある診療が行われている。  総合南東北病院に隣接した立地はメリットも大きい。  南東北新生病院で急性期の医療が必要となった場合には、高度で専門的な医療をすみやかに受けることができる。急性期と回復期との連携をスムーズに実現し、継続的な治療や、充実したリハビリテーションの提供も可能となっている。  50人以上のリハビリスタッフが勤務する体制を新たに加え、看護師はじめ職員も意気盛ん。魅力と活力のある新しい病院が、これからの福島と地域の医療を支えていく。