福島県三春町にある滝桜 日本三大桜の一つ

滝桜 食文化の物語 福島県三春町
 
<滝桜>老いし桜樹をめぐる思い 三春千年の旅への誘い [福島県三春町]
<滝桜>老いし桜樹をめぐる思い 三春千年の旅への誘い [福島県三春町]
 
 総合南東北病院 広報誌”サザンクロス” 2006.02
 総合南東北病院 関連施設:三春南東北リハビリテーションケアセンター 

三春という美しい名前を持つこの町は、三春藩以来500年間続いてきた城下町。城址はすでに石垣の一部を留めるばかりとなってしまったが、今も息づく数多くの寺社とともにあちこちに残る見事なしだれ桜は、この町がかつて歴史と文化の中心にあったことを物語る。あたりはもう春爛漫。どこか懐かしい里山が連なる三春の町へ、滝桜千年をめぐる旅に出てみたい。
 
福島県三春町 滝桜
満開の滝桜風景、その樹高は約12mの巨木で、樹齢は一千年とも言われる。しだれ桜の中では国内最大。この地方には滝桜を中心に同心円状にしだれ桜の巨木が点在し、それらは滝桜を慕って植えられた子や孫の桜と考えられている。
 の小鎌倉とも呼ばれる城下町、三春。その名が示す通り、三春には三つの春が同時にやって来るという。最初に梅の花が咲き、続いて桜が満開となる。そして今度は桃の花。羨ましいほどに美しい春が、この土地を彩ることになるのだ。
 そのなかでも最も壮観なのは、やはり「滝桜」だろう。一説には樹齢一千年を超えるとも言われるしだれ桜で、花の頃には全国から訪れる桜見物の人たちで、あたりは大変な賑わいとなる。
 この滝桜はエドヒガン系の紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)で、大正11年、国の天然記念物の指定を受けた。日本を代表する桜の巨木で、日本三大桜の一つ。岐阜県の淡墨桜とともに東西の横綱に位置づけられている。
 近年有名になった滝桜だが、その開花時期は4月下旬と遅く、東京では桜の季節が終わろうとする頃だ。
 はなびらの大きな傘の下に立って見上げたときの何万という花びらの美しさ。花が風に舞う姿には、この世のものとも思えぬ美しさがあり、どこか祈りの世界に通じるものを感じさせる。
 滝桜には根元に祠があるが、その土地の主として祀られてきたのかもしれない。実は、現在に伝わる三春盆唄にも、この滝桜は唄い込まれている。
 

・・・滝の桜に手はとどけども、殿の桜で折られない・・・
 滝桜がその時々の三春藩主や領民にどれだけ愛され、特別視されていたかが想像できて興味深い。現在では行方の分からなくなってしまった史料に「滝佐久良(たきざくら)の記」(天保7年撰、筆者不明)があるが、そこには江戸時代、三春藩主が殊に滝桜を愛し、毎年花の時期になると、庄屋から「いま何分咲き」と報告を受け、満開の時期になると藩主自らが花見に出かけていた、と記されていたようだ。いまも「藩主花見の地」と伝えられる場所は滝桜を見る絶好の場所である。藩主はこの桜を御用木とし、その枝回りの地租を無税として、桜の保護に努めさせていたという。
 この三春藩は東北で唯一、しかも国内では最も上級の索麺(そうめん)の産地としても有名だった。今から300年前に書かれた江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には「奥州三春より出づるものが細白にて美なり」と紹介されており、三春藩時代には幕府献上品とされていた。藩の手厚い保護もあって、三春索麺は三輪・輪島・龍野の揖保乃(いぼの)糸などと並び、全国にその名を知られていたのだ。ところが、江戸時代の索麺の生産は、多くを農家の副業に頼っていたため、明治維新とともに、生産を担っていた農家の暮らしぶりが激変すると、いつの間にか姿を消してしまうことになる。
 歴史の荒波のなかで失われてしまう食や文化には寂しさと悔しさを禁じ得ない。かつての三春索麺の正確な記録はなく、その姿はおぼろげなばかりである。この幻の索麺は近年、地元有志の力でようやく再現され、三春藩時代の味わいをはるかに偲ぶことができるようになった。
 
【三春索麺】 【寛政五年三春城下絵図】
江戸時代前期の百科事典「和漢三才図会」によれば、三春は全国有数の索麺の産地であったらしい。明治期に途絶えた歴史は、近年「幻の三春索麺」として復活した。    三春町全図と記されているが、滝桜は少し離れた位置にあり、図版には記載されていない。絵図には随処に桜が描かれており、当時から春の三春城下を彩っていた様子が偲ばれる。寛政五年は1793年。図版の左が北にあたる。
写真は復活した三春索麺。三春町内のお店や旅館などで食することができる。購入は潟Aグリカル。
電話0247-62-4118 ホームページhttp://miharu.ne.jp
 
三春を彩る滝桜千年の命
昨年1月の大雪で滝桜は大変な被害を受けた。20本近くの枝折れである。樹齢千年の老樹だけに健康状態が心配されたが、枝折れの根本的な原因は、滝桜の樹勢が非常に良いため、上から延びてきた枝が下の枝に覆い重なり、日陰になった枝が枯れ、枯れ枝が多く木に残っていたことが、大きな負担になってしまったためらしい。何十年ぶりという大雪も災いした。
 「このため、今回は枯れ枝の多くを剪定(せんてい)しました。滝桜もかなりさっぱりしたと思います。外科的手術ですね」
 そう説明してくれたのは、鈴木俊行さん。長く滝桜の診療にあたってきた滝桜の主治医である。
 この滝桜は国の天然記念物のため、診断と治療は文化庁と協議しながら慎重に行われた。
 もともと桜は傷や菌に弱い。
 「昔から『桜切る馬鹿、梅切らぬ阿呆』と言われてきましたが、そのとおりなんです。枝折れの傷口からは木を腐らせる菌が入りやすい。そのため、外科的に枝を切り、その部分に殺菌剤と防水剤を塗布する治療をしました。折れた傷口の近くから自然に新しい枝が出て、ある程度の年月で元の樹形に回復するでしょう。実際もう、新しい枝が出てきています。千年近く生きてくれば、こうしたことは何度も経験してきたはずです。滝桜は今回の枝折れも無事に乗りきってくれると思います」
 老いた桜の大樹ではあるが、生命力は失われていない。
 「樹木もまた人間の医療と同じように体力を高め、自然治癒力や免疫力を高めてやることが大事です。土に肥やしをやって、回復力を高める。そうした治療は内科的治療ともいわれているんですよ」
 今から150年前の江戸時代、東京の染井村で一本の変種からつくられたソメイヨシノと違って、昔から自生するシダレザクラはその土地に合った進化をしてきている、と鈴木さんはいう。三春には三春の滝桜、なのだ。そんなお話しを伺いながら、ふと見上げた滝桜に、あらためて敬慕の思いが自然に湧いてくる気がした。
 これからも滝桜をいたわり、自然のなかで生きる条件を整えてやることが大事なのだろう。その意味でも枝を支える杖(支柱)は大切だ。これを人間のエゴのように思う人もいるかもしれないが、樹木は一度倒れてしまうと「死」に直結してしまう。「幸い、今年の冬は被害を受けませんでしたが、皆さんに是非、理解してほしいところです」と鈴木さんは説明する。

町内には約二千本のシダレザクラがある。平成2年には「三春町のシダレザクラ」が「日本さくらの名所100選(一般財団法人日本さくらの会)」に選ばれ、三春町全体がさくらの名所になっている。
 この春も多くの人が滝桜に導かれ、この地を訪れることになるだろう。
 「古樹や大樹は特別な気を発しているように思います。一人でも多くの方が長命な滝桜の気を感じ取り、生命の力を全身で受け取って、この滝桜を讚えて下さるように願っています」と鈴木さんは話してくれた。


滝桜を守る樹木医の鈴木俊行さん
一般財団法人福島県都市公園・緑化協会所属。NHK文化センターでは講師として「巨木・名木めぐり」を主催している。
樹木医とはまさに樹木のための医師。日本各地の古樹名木の診断、治療や現地調査などにあたる。
テレビ番組TOKIO(トキオ)の「鉄腕ダッシュ」で「ダッシュ村」の桜の診断・治療に取り組む樹木医と言えば、思い当たる人も多いだろう。
三春滝桜情報
昨年春、全国から訪れた観光客は33万7983人。滝桜は三春駅から約6.3kmの距離にあり、シーズン中はかなり渋滞するため、駅からのバス利用がオススメ。桜は根を踏まれると弱ってしまうので、見物や撮影の際のマナーには、特に気をつけたい。
◎滝桜観桜バス
三春駅から滝桜まで往復大人1,000円・小人500円で、運行コース内の停留所で当日何度でも乗り降り可。
◎タクシー
駅から滝桜まで2,000円程度。

〔滝桜サポーター事業〕
2006年春から、「滝桜サポーター事業」として三春町では、滝桜の保護・整備のための協力金をお願いすることになった。これは有料駐車場の料金に上乗せする形で徴収される。
詳しい情報は、三春町役場(電話0247-62-3960)、または、三春町観光協会(電話0247-62-3690)。
表紙掲載の満開の「滝桜」風景と、「寛政五年三春城下絵図」は、三春町歴史民俗資料館提供によるものです。(電話0247-62-5263)

  
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