ラストホープと呼ばれる医師
世界的脳神経外科医の生き様に触れて
 
ラスト・ホープ…。アメリカで“最後の切り札”と呼ばれる日本人の医師がいる。世界一の脳神経外科医・福島孝徳ドクターである。「すべてを患者さんのために」そして「手術一発全治」を理念として掲げ、南東北グループを率いる渡邉一夫理事長とは、志を同じくする“義兄弟”の仲なのだという。年間を通してほとんど休みなく難手術に挑み続ける福島ドクターへの取材を通して、医師としての生き様の一端に触れてみたい。
 
 顕微鏡手術に臨む福島孝徳ドクターと総合南東北病院の脳神経外科チーム。ミクロン単位の精密さを要求される手術だけに、福島ドクターは手術器具や用具も自ら開発・改良してきた。
 福島ドクターが今後の課題のひとつに挙げるのが後継者、つまり技術力の高い脳神経外科医の育成である。その手技を学ぼうとする医師たちには、積極的に見学を受け入れ、手術の様子を可能な限り公開してきた。映像記録の活用にも積極的で、アップル社のホームページには、その映像システムを利用したシステムソリューションが紹介されている。
 海外の手術では、十分な医療機器がそろっていないことも多く、そんなとき福島ドクターは「自分で購入した機械を持ち込み、手術後はそれを寄付して帰る」ことも多いという。
 アメリカにある福島ドクターのオフィスには、世界中から毎日のように手術依頼の手紙やファックスが寄せられる。そのうちの半分以上は、ほかの医師に『もう駄目だ』といわれて、藁にでもすがる思いで書かれたものだ。世界でもトップの脳神経外科医であり、『神の手』とも、『ラストホープ(最後の切り札)』とも讚えられる医師である。日本でもスーパードクターとしてテレビで紹介されることが多くなり、その名前を記憶されている方も多いだろう。
 昨年12月、郡山市の総合南東北病院でその日2件目の手術を終えたばかりの福島孝徳先生にお会いすることができた。長身で快活な姿には、少しも疲れた様子は見られない。それどころか、次々に溢れるハイテンポな言葉と行動に驚かされる。
 「今日の手術も無事成功しました。全戦全勝です。何せ、私は世界一の脳腫瘍のドクターですから(笑)」
 随所にユーモアを交えたお話ぶりは、著名なドクターに会うという緊張感を和ませてくれるようだ。
 「昨日は千葉県で、命がけの手術をしました。45歳の男性で、脳の真ん中から4センチほどの脳腫瘍です。完全に除去しました。ここ一週間で全国8カ所を回っています。多いときには1日に2カ所掛け持ちで、毎日朝から晩まで手術です。明日も朝一番の新幹線で東京に帰って、2人の手術の予定です。明後日にはまたここに戻ってきて、それからまた東京の病院で手術。年末にはアメリカに戻りますから、それまでは日本中を駆け回るんです」
 福島先生のハードなスケジュールは有名だ。その超人的なタフネスぶりは広く知られているが、実際にお会いしてみると、さすがに驚きが増す。「あの人は普通の人じゃないですから(笑)」ドクターの活躍ぶりをまとめた本に、親しい方のそんな率直な声が紹介されていたのを思い出す。
手術に明け暮れるスーパードクターの日々
 70年以前の脳外科は大開頭、肉眼手術の時代だった。70年代になってからは顕微鏡手術(マイクロ・サージェリー)が主流になる。若き福島ドクターは試行錯誤を重ね、キーホール・オペレーション(鍵穴手術)を確立することになる。患者さんへの負担を最小限に抑えるためには開頭はできるだけ小さいほうがいい。
 「脳下垂体腫瘍の手術は現在、ほぼ全例が経鼻手術で行なわれており、進入部はわずか1センチほどですむようになった。わたしが最も得意とする『顔面痙攣』や『三叉神経痛(顔面神経痛)』の手術にしても、開頭はわずか1センチほど。『聴神経腫瘍』や『脳動脈瘤』についても、ほとんどが1円玉ほどの穴から、安全確実に手術が行なえるようになっています」
 福島先生が渡米したのは48歳のときだった。すでにキーホール・オペレーションによって、世界的な知名度は高かったが、日本では少し事情が違っていたようだ。国内の大学では臨床よりも論文の数が医師としての地位を決めてしまう傾向が強かった。医師であれば、患者さんを救うことが何よりも優先されるべきではないか。そんな医療をとりまく現実に疑問を深めていた頃、アメリカの南カリフォルニア大学から臨床教授就任の依頼が届いたのだ。
 「いまではアメリカで自分のクリニックも開業し、デューク大学、ウエストバージニア大学など全米4カ所の病院で主に脳腫瘍、特に難度の高い髄膜腫の手術を手がけています」
 実力をフェアに評価するアメリカの文化は、福島ドクターの存在を正当に評価し、「ラスト・ホープ」として惜しみない称賛を贈ることになった。現在、氏はアメリカだけでなくヨーロッパやアジアなど、世界中を飛び回り、手術に明け暮れる。日本へも年に6回から8回は帰国し、半月ほどの滞在期間で約50件もの執刀を行なっている。年間だと実に600例の手術だ。一般的な脳神経外科医の場合、年間100例の手術でも「かなりの症例数」と見なされるというから、この数字がいかに凄いかが容易に想像できる。
 休む時間もないほどの仕事ぶりだが、手術の依頼は一向に減らない。日本だけでも400人以上が福島ドクターの執刀を待っているという。
 「患者さんのためにも、休んではいられないんです」
渡邉一夫理事長との出会い
 話は前後するが、三井記念病院時代、「福島に手術をしてほしい」という要請が全国各地から届き、福島ドクターは時間さえあれば各地の病院で診察や手術を行なっていた。そんななかで出会ったのが、現在、南東北グループを率いる渡邉一夫理事長である。
 「私のモットーは『手術一発全治』と『すべてを患者さんのために』です。ところが、若き日の渡邉理事長もまったく同じ考えの持ち主だった。貴重な同志が生まれたような気分でした」
 現在もお二人の信頼関係は変わらない。
 「ともに脳神経外科医として、当時の日本人の死因トップだった脳卒中の治療にあたるなかで、いわば義兄弟ともいえるような強い絆が生まれました。同じ志を持って医者としての道を歩んできた。違う点があるとすれば、彼はその後、病院経営者として、最高の医療システムを築き上げ、この国に変革を起こしている。私のほうは、当時と変わらず手術の可能性をひたすら追い求めています。でも、選んだ道や方法は違えども、思うところは互いに変わっていません。彼が経営する病院は今や日本でも最大級。設備もスタッフも非常にハイレベルです。まさに東洋のメーヨー・クリニック。世界一の病院です。
 2004年には日本最大級ともなるPETセンターをスタートさせましたが、世界の脳神経外科の先頭を行こうかというウエスト・ヴァージニア大学のトップまでが『是非見せてくれ』と、私に言ってきました。その上、今年10月には最先端の陽子線治療を日本の民間病院で初めて実現させようとしている。世界から、この病院は注目されているんですよ」
 脳神経外科医の努力もあって、日本人の死因第1位が脳卒中からがんに変わるなか、三大成人病、特にがんの撲滅を理念に掲げる南東北グループに、福島ドクターは大きな共感と期待を寄せる。
渡邉一夫理事長とともに
医療の理想形を求めて
 WHOで世界一と評される日本の医療。にも関わらず、日本の医療費は世界から見ればかなり安いのだという。これは国民皆保険制度の成果ではあるが、それだけに日本人は医療を空気や水のように、当然のものとして考えてはいないだろうか?
 健康は、誰かが与えてくれるものではない。自分の健康は自分で守るために、患者自身が病院や医師を主体的に選択する時代が始まっているのかもしれない。諸外国の医療のあり方にも詳しいだけに、そうした日本の医療の現実にも、福島ドクターの問題意識は及ぶ。
 アメリカでは常識とされるセカンドオピニオンさえ、日本ではまだ始まったばかりだ。“医療の羅針盤”としての役割を担おうとする東京クリニックの理想にも、実はそうした理念が込められているという。
 「やるべきことは山のようにあります。後進の育成もそうですが、これからは、日本人の死因第一位となった“がん治療”に力を尽くしていかなくてはなりません。21世紀のがん治療。南東北グループのPETと陽子線装置を用いた医療システムは、特筆に値します。患者さんの体への負担の軽減と確実な治療効果を追求する姿勢は素晴らしい。日本有数のドクターたちもその理念に共感しています。
 切らずに脳腫瘍を治療するガンマナイフもすでに稼働しています。がん治療への応用が期待されるサイバーナイフといった定位放射線治療装置の導入も検討されている。世界の最先端の医療が南東北グループにはあるのです。私も全面的に協力していきたい。これからは、世界中のVIPも、ここに診療に訪れるようになるかもしれません。海外で活動していると、そうしたことが実感として分かるんですよ」
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