ヒトの免疫系のメカニズムを探り、第4のがん治療へ
 
がん治療への新しい視点
 
 


現在のがん治療は、外科手術、放射線治療、抗がん剤治療が標準療法とされている。ところが、それらとは別の角度から、がん細胞を抑え込もうという研究が進んでいる。これは、第4の治療法とも呼ばれるもので、免疫機構に関する研究の進歩によって現実化してきた医療だ。今回はこの分野の第一人者として『免疫細胞療法』と『温熱療法』に取り組む照沼裕先生をお訪ねし、お話をうかがった。
照沼 裕 先生
 
免疫システム研究の成果をがん医療の世界へ
 「私たちの体の中では、毎日数千個ものがん細胞が生まれています。ところが、それらが大きくならないのは、体内の免疫システムが、がん細胞を見張り、攻撃しているからです。そうしたメカニズムに注目し、免疫の力を高めることでがん細胞を抑え込むことはできないだろうか。そんな研究と臨床が発展してきました。現在は、がんの予防や治療にも応用されてきているんですよ」  
 そう説明してくれたのは、照沼裕先生である。
沼先生が免疫の研究に取り組むことになったのは、東北大学大学院時代だ。最初はHIV(エイズウイルス)に類似したレトロウイルスの研究だった。ちなみに、当時の研究室で指導にあたっていたのは、現在、総合南東北病院(郡山市)で神経科学研究所所長を務める山本悌司先生(福島県立医科大学名誉教授)だったという。  
 その後、アメリカに渡り研究を続けた照沼先生は、95年にはアフリカのザンビアに渡り、HIVを中心としたウイルス感染症対策の指導にあたる。そんな免疫の専門家は、次第にがん治療への関心を強めていく。
 「日本は熱しやすく冷めやすいお国柄なのか、エイズの話題はあまり聞かれないようになっていますね。もっとも、性交渉に注意したり輸血時にブロックすることで、エイズ感染は防げるわけで、決して恐ろしいわけではない。ところが、日本は先進国のなかで唯一、エイズが増えている国です。見過ごしにはできませんが、日本ではやはりがんという大きなテーマがありました。3人に1人はがんで亡くなるわけですから」  
 免疫研究で培った成果を、照沼先生はがん治療に応用する道を探り始める。世界中でエイズ研究に投じられた資金は膨大だ。その結果、免疫をめぐる研究は圧倒的に前進していたのだ。
「HIVは免疫機構を破壊するウイルスです。そうすると患者さんは必然的に免疫が抑制された状態になるわけです。そこで、免疫力を上げてやるための研究が進みました。  
 リンパ球などの免疫細胞を増やしてやるために開発した方法が、実はがんにも有効であるということも分かりました。がん細胞に対して働く免疫と、ウイルス感染細胞に働く免疫はまったく同じ免疫機構なんです。ウイルス感染に対する治療はがんにも応用できるし、逆も成り立つわけですね」
 
自己の免疫力を高める免疫細胞療法
疫細胞療法で行われる治療法の一例を紹介しておこう。まず、30から50tの採血を行う。2〜3週間、リンパ球からNK細胞(ナチュラルキラー細胞・免疫細胞のひとつ)を選択的に活性化し、培養する。その後、本人に点滴を20分位して終了だ。自分の細胞だから、副作用はない。2週間培養すると、細胞の数が数千倍に増え、活性も非常に高まるという。
 「点滴して体に戻すのはNK細胞ですが、それ以外のTリンパ球など、ほかの免疫細胞もぐんと活性が上がります。外来でできる体に優しい治療法です」  
 NK細胞に加え、樹状細胞やCTL(細胞傷害性Tリンパ球)という免疫細胞を併用することで、さらに強力な治療となり、体中の腫瘍がどんどん小さくなる症例もある。
症例1:温熱化学免疫細胞療法 小細胞肺癌、縦隔リンパ節転移
(75歳・男性 PET画像)

声のかすれにて発症。生検にて小細胞肺癌と診断。生来、白血数・血小板数が低く、標準量の抗がん剤治療は困難のため、免疫細胞療法(NK細胞の月2回、DC反応性CTLの月1回)、低用量化学療法(塩酸イリノテカン40r・シスプラチン20rの週1回を3投1休の点滴)、温熱療法(サーモトロンRF8での胸部への局所ハイパーサーミアの週1回)というQOLを維持した外来通院治療で、治療開始4か月後には嗄声は消失。良性耳下腺腫瘍も経過観察中。
治療前 治療後
 
症例2:温熱化学免疫療法 肝細胞癌術後、肺転移例
(66歳・男性) 
肝癌にて肝臓の半分を切除。10か月後に肺転移が発見され、TS-1を開始。しかし、血小板・白血球減少のため、標準使用量の半量のTS-1を投与期間を短縮して休薬期間を延長しながら施行。再発2か月後より免疫細胞療法として、NK細胞、樹状細胞(DC)、細胞傷害性Tリンパ球(CTL)を順次開始。また、再発3か月後からは温熱療法も併用。再発9か月後には腫瘍マーカーは正常化し、CT上も肺転移はほぼ消失した。その後は3〜4か月ごとに維持療法を続けている。
 
温熱療法(ハイパーサーミア)の新しい展開
 温熱療法はハイパーサーミアとも呼ばれ、加温による作用を利用する。 「一般に熱が出るのは、免疫系がウイルスなどと闘うスイッチをオンにするサインですが、そうした状況を外部からの加熱により局所に作ってやろうという考え方です」  
 そのメカニズムは、42.5度以上にがん細胞が温まると、がんは弱って死にやすくなるという性質を利用する。局所的な加温でがん細胞を弱らせ、それと同時に免疫系を活性化させる。通常人間の体は、入浴などで外部から加温しても、体の深部まで42〜43度に上がることはない。温熱療法で照沼先生が使うのは、高周波を利用した特殊な治療装置であり、保険診療が認められている。
「腫瘍部分は直接的な加温で、血流もよくなり、抗がん剤の取り込みもよくなります。種類によっては標準的な治療をしていても、劇的に抗がん剤の効果が高まり、半分ほどの量でも標準量を使うのと同じ効果が得られるんです」   
 抗がん剤の副作用に苦しまれている方などには朗報でもある。骨髄抑制などの副作用も起きにくく、周辺組織でも免疫力が高くなるという。  
 かつて、京都大学でこの治療装置が開発されたときには、放射線治療の増感装置としての働きが期待されたというが、現在では免疫反応を局所でオンにすることと、血流を良くすることで抗がん剤の取り込みに寄与する、という二つの概念が大きくクローズアップされているという。
 「分子標的薬剤や新しい抗がん剤の出現ともあいまって、がん治療の世界では温熱療法を併用することがほかのいろいろな治療法の効果を増感することになります」  
 
 
免疫細胞療法と温熱療法の現状と課題について
 免疫細胞療法も温熱療法も、ともに身体的負担が少なく、副作用がない。外来通院で治療できて、初期から終末期まで、どんな局面でも繰り返し治療ができる。標準的な治療法と併用することでQOLを改善したり、再発転移の予防にも使える。痛みを緩和したり、化学療法の副作用を低減する効果も期待できる。
「それぞれは1の力しかなくても、いろいろな治療を合わせる順番、タイミング、それから量などを調節することで、3とか4になる可能性があるんですね。低用量化学療法と温熱療法、免疫細胞療法などでは、それぞれの力は小さくても、併せたときにはたし算ではなくてかけ算のような効果が出るようになってきているんです。レベルアップするわけですね。  
 また、がん細胞の周辺には免疫の力を抑制する種類の免疫も集っているのが分かっているのですが、化学療法や温熱療法などの、それを取り除く治療を先に行うことで、免疫細胞療法の効き目を高めてやることができるようになってきました。このように、治療の順番を工夫することで、今までとはひと味違った効果が出せる。そういう時代になりつつあるんです」  
 ただし、問題点もある。照沼先生は率直にこうつけ加える。
「免疫細胞療法は、自費診療の扱いになってしまいます。どうしてもテーラーメイドの治療ということで、費用もかかってしまうんですね。統計的にこうすればいい、というようなマニュアル化が難しい。また、施設間でばらついている治療の質を整え、向上させるという課題もあるんですね。問題は治療成績をどうやって検証するか、ということと繋がってくる。学術的な論文としてきちんと発表していくということが必要です。私たちは学会発表だけでなく、審査員のいる学術雑誌に英文や和文で論文を発表するようにしています。  
 私は日本ハイパーサーミア学会という温熱療法の学会の評議員をしており、温熱療法の普及にも努めていますが、そこでの問題点としては、保険診療にはなっていても、私たちが温熱療法で使う機械は高額ですから、医療収益の観点から言えば、病院経営上はプラスになりにくい。一般の病院としてはなかなか導入しにくい傾向があるんです」  
 
日本で唯一保険適応となる温熱療法(ハイパーサーミア)の治療機器サーモトロンRF8。局所的に高周波で40分程加温して治療する。治療は副作用がない。治療経過はPET機器などでスクリーニングし、確認される。
 
 
がん再発予防の選択肢として
  自分の抵抗力を最大に利用する
 最後に、今後のがん医療のなかで、照沼裕先生が考える免疫細胞療法の未来像についてうかがった。
「今は、標準的な治療がなくなってしまい、延命治療に用いるケースが多いんです。もちろんそれはこれからも大切な役割ですが、これからは再発予防に使うのがいいと考えています。例えば手術をするなら、自分のがん細胞をとっておいてもらう。すると、自分のがんに対して働くような免疫細胞をより確実につくれるわけです。  
 自分の抵抗力を最大に利用するといった考え方は、これからもっととり入れられると思いますね。おそらく、標準的ながんの治療法にプラスして免疫力を高めるという視点が広がっていけば、再発率をこれまで以上に低下させることができるだろうと思っています。主治医の先生方にも、一緒になって治療にあたるなかで、なかなかいいもんじゃないか、という実感を持っていただければと思います。  
 陽子線治療とのかねあいで言えば、大きな主病変は陽子線で治療し、小さなちらばっている病変は免疫細胞療法を用いて叩いていく。もちろん、温熱療法や抗がん剤なども含めてですが、そうした利用の仕方もあると思います」  
 がん細胞と闘う上で、免疫のサーべランス(自己監視)機構の持つポテンシャル(潜在能力)は高い、と照沼先生は言う。  
 陽子線治療もそうだが、南東北病院グループが掲げるがん撲滅の理念と実践。免疫研究を応用した第4の治療法も、がん医療の未来を照らし出している。
 
がんにならないようにするにはどうすればいいか。仮にがんになっても、がんと共存しながら長生きするにはどうすればいいか。免疫システムの研究結果をもとに予防や治療に応用するのが第4のがん治療―免疫細胞療法と温熱療法です。


照沼 裕(てるぬま・ひろし)先生
東京クリニック副院長
(専門/免疫療法・温熱療法)
東北大学大学院医学研究科博士課程修了後、同医学部病態神経学講座助手に就任、1990年には米国ウィスター研究所でウイルス学、免疫学の共同研究を行ない、1992年米国マイアミ大学医学部助教授に就任、1995年には国際協力事業団ザンビア感染症対策プロジェクトに長期専門家として派遣。その後、山梨医科大学講師等を経て現職。郡山市の総合南東北病院でも診療にあたっている。
照沼裕先生が副院長を務める東京クリニックは、南東北病院グループのひとつ。JR東京駅北口から歩いて5分。

東京クリニック
〒100-0004 東京都千代田区大手町2−2−1新大手町ビル
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