十六橋水門 『福島県猪苗代町 (安積開拓に思いを馳せて)』

五月晴れの静かな湖畔に、郡山市発展の礎、安積開拓ゆかりの地を訪ねてみました。そこは十六橋水門。猪苗代と会津を結ぶ重要な街道沿いにあります。オランダ人技師、ファンドールンが設計した当時の姿はもうありませんが、明治25年には15歳の野口英世が火傷の手を治すため会津へと急いだ一本の道がひっそりと先へ続いていました。

現在の十六橋水門と公道橋。穏やかな湖面に釣り糸を垂れ、ブラックバスを釣る人も多い。左の写真は明治13年完成当時の十六橋水門。石造のアーチ橋だった。

ファン・ドールンの銅像は戦時中、軍に供出され砲弾になるはずだったが、氏を慕う安積疏水関係者によってひそかに地中に隠されて保存された。戦後、再び掘り出された逸話は「かくされたオランダ人」として全国的に有名になった。

安積疏水を支えた水門を訪ねる
 野口英世記念館を過ぎ、猪苗代湖に沿って国道49号線を西に車を走らせると、長浜の遊覧船乗り場が見えてきます。そこから国道をそれて旧道の坂道を上り、しばらくすると白い洋館が姿を現します。有栖川宮威仁親王の別邸として明治41年に建設された天鏡閣です。そこから少し山道を進み、左に坂道を下りてつづら折りの急坂を抜けると、広々とした水田の向こうに十六橋水門が見えてきました。
 この水門は明治13年に完成し、安積疏水計画を実現させる上で重要な役割を果たしました。ダム湖のように湖を堰き止め水位を調整できるようにしたことで、猪苗代湖からの取水が可能となったのです。
 明治15年の完成当時水路延長130kmに達した安積疎水は、開拓された原野を潤し、郡山発展の礎を築くことになります。

ファン・ドールンの銅像

 猪苗代湖の水は、沼上隧道(トンネル)を通して山を越えます。現地を調査し、水門や疏水設計の全体を監修したのは、オランダ人技師ファン・ドールンです。水門のすぐ横には氏の銅像が建てられ、安積開拓への貢献が讚えられています。
 現在の十六橋水門はその後改修され、公道橋と水門が分けられていますが、完成当時は石造りのアーチ橋で、水門と橋は兼用されていました。
 二本松裏街道とも呼ばれるその道は、猪苗代と会津を結ぶ重要な道。明治25年にはまだ清作と呼ばれていた野口英世博士が、友人たちからの寄付金で、火傷で傷ついた左手の手術を受けるため、会津会陽医院へ急いだ道でもあります。
 十六橋水門のアーチ橋を歩きながら、清作はどんな未来を思い描いていたのでしょうか。水門は安積疎水とはもうひとつ別の物語りへの入口でもあるようです。