明治時代の開拓で日本有数の穀倉地となった郡山市。安積平野と呼ばれるこの地域に、日本一の米作り名人がいる。『米・食味コンクール』5年連続金賞という快挙で、全国にその名を知られる古川勝幸さんだ。手間暇を惜しまない究極の米には、〝三つ星〟レストランの有名シェフたちもうなる。里山に放棄された棚田を再生し、環境とともにある農業を模索する古川さんのチャレンジを通して、米作りとその周辺を見つめてみた。

日本一旨いコメづくりと棚田の景観再生の試み/輝くコメ、未来への挑戦

 つややかで甘みがあり、食感もいい。米一粒ひとつぶが味わい深く、噛めばかむほどに旨味が増す。それはまさに究極の米と呼ぶにふさわしい。
 手塩にかけて育てる米の収穫は1反歩7俵を切る。田植えの段階から植える苗を減らし、稲の間隔を広くして日当たりを良くするためだ。効率は悪いが、そうすることで質の高い米が実る。
 古川勝幸さんが取り組む米作りは漢方農法と呼ばれる。聞き慣れない名前だが、安全で安心な米づくりを求めるなかで、たどり着いた農法だ。農薬や化学肥料を一切使わず、漢方生薬と熟成した堆肥、植物由来のハーブを用いる。
 漢方農法が誕生したのは20年ほど前のこと。栃木県大田原市の漢方薬局が、アトピーで苦しむ子供たちに処方していた漢方薬を、作物作りに利用できないかと考え、実践したことから始まる。野菜や果樹を対象に、作物の持つ力を高める無農薬農法は一定の実績を上げ、注目されていた。古川さんはそれを米に応用できないか、と考えた。人間に用いる漢方薬なら米作りに用いても害はない。その上、米の旨味も増すはずだ。
 古川さんは2002年、仲間たちと『漢方無農薬研究会』を立ち上げる。最初の年は収穫も上がらず、1反歩の田んぼから2俵の米しか穫れなかった。だが、旨さは抜群だ。雑草や病害虫の発生、稲の生育に合わせて漢方薬をどう使うか、古川さんは研究と試行錯誤を続け、2年後には『米・食味コンクール』でついに金賞を手にする。たった2年で最高の結果を出すのも驚きだが、以後5年連続金賞という偉業は前例がない。
 『米・食味コンクール』は出品総数2千数百にも及ぶ国内最大の米品評会だ。そこで5回金賞を受賞すると殿堂入りとなり、名人の栄誉が与えられる。古川さんの漢方米は最高に旨い米として認められ、古川さん自身も日本一の〝米作り名人〟となった。田んぼでハセガケし、自然乾燥させた米は特に高価だが、旨味が高く、すぐに買い手がついてしまうという。
 だが、高級米だからと言って、必ずしも大きな利益を生むわけではない。作れる米の量には限りがあるし、米づくりの手間も半端ではない。一般に有機農法はコストもかさむが、特に漢方農法の資材は通常の3倍前後になる。
 日本一になれば、何かが開けてくるだろう。米作りの未来を見据え、そう考えた古川さんの挑戦は、新たな段階を迎えている。それは〈農業〉や〈農政〉のこれからを探る上でも大きな示唆に富む。
 今年の秋も、刈り入れが終わった古川さんの田んぼには、昔懐かしいハセガケの風景が見られるだろう。古川さんとその仲間たちの取り組みが、日本の秋の風景を蘇えらせていく。

里山再生への挑戦/山清水光る棚田のコメ作り

古川勝幸さんは新たな挑戦を始めた。休耕田として放棄されてきた棚田での米作りである。きれいな清水が溢れる土地は景観も美しい。無農薬の田んぼには沢ガニやタニシ、カエルたちが生息し、ヤゴの殻を抜け出したトンボが風に泳ぐ。それは新しい米作りの魅力を探す試みでもある。
休耕田再生米
 古川勝幸さんは、里山に広がる棚田を再生し、米作りを始めた。後継者もなく、うち捨てられた田んぼで旨い米ができれば、農家の元気にもつながる。しかも、棚田の景観や美しい自然環境の魅力は、平場にはない農業の魅力だ。
 古川さんが築いてきたネットワークは幅広い。以前から親交のある雑誌社では、社員全員が会社ごと南魚沼に移住し、無農薬で実際の米作りに挑んでいた。旧山古志村の棚田での農作業。まるで天空に手が届きそうなところで米を作る。そんな本気の仲間たちの活動は大きな刺激だ。
 農業が生み出す価値のひとつには景観もある。これまでも続けて来た田んぼでのハセガケは、刈り取った稲を太陽と風で自然乾燥させるだけでなく、伝統的な農業の風景を復活させる意味もあった。里山の米作りを通して、荒れ放題の棚田を蘇らせることができないだろうか…。
 そんな古川さんを後押ししてくれたのは、以前からの取引先で、奈良の小さな米店の女性経営者だった。『休耕田再生米』の試みである。『休耕田再生米』とは、農家に中山間地の荒れた田んぼを再生してもらい、その代わりに収穫した米を通常の2倍の値段で買い取るというものだ。
 米づくり農家を支援し、田んぼを守ろうとするこの取り組みは、女性経営者が全国を飛び回り、農家を説得しながら始めた挑戦である。コストを考えれば赤字覚悟だが、米とともに昔懐かしい田園の風景を再生したいというその願いが、古川さんの思いと響き合った。
美しい山清水の魅力
 古川さんが選んだのは、とりわけ条件の厳しい場所だ。山峡で日当たりも悪いが、きれいな水に恵まれた美しい景観に惹かれた。農機具が役に立たないところもあり、生産性は極めて低いだろう。しかし、米作りに厳しい田んぼだからこそ、試行錯誤しながら挑戦する意味もある。
 思った通り、山清水は冷たく、稲は順調に生育してくれない。
 そこで、水を最初に引き込む田んぼに、水を温めるエリアを作った。溜めた水は水辺の生き物たちが息づくビオトープとなる。山形県の農場から駆けつけた仲間たちの手助けで生物調査をしてみると、昔懐かしい田んぼの生き物たちが次々と確認できた。
 しかし、肝心の収穫量はさすがに少ない。試しに刈り入れた米を炊き、試食してみると、旨味は期待を裏切らなかった。どうやって収穫量を増やすかが次の課題だ。
 土作りから、水管理、追肥を与える時期と、あれこれ検討していると、米作りを通して昔の人たちと対話している気がして〝名人〟は謙虚になる。有機や自然農法に対する古川さんのスキルは高いが、米作りの奥は深い。
蘇る棚田の風景
 古川さんは各地の放棄された棚田にも挑戦していきたいと考えている。米を通して消費者にもその魅力が届けば、里山の美しい風景が、本当に蘇るかもしれない。棚田再生の試みのなかでひとつひとつ磨き上げる農法の工夫は、いつか他の棚田でも活かされることになるだろう。
 明治の人々の努力で開拓を成し遂げ、猪苗代湖から疏水を引き入れた安積平野は、全国有数の米どころとなった。『あさか舞(まい)』の産地の米農家に生まれ、まるでベンチャーのように独自に米と農業の未来を探り続ける古川さんの挑戦には、そんな開拓者精神が受け継がれている気がした。

日本の米作りの実力

 日本の米作りは、長い時間と労苦のなかで工夫され、磨き上げられてきた。その味は格別で、保管と炊き方を上手に工夫することで、さらに旨さが増す。
 日本の米作りは、長い時間と労苦のなかで工夫され、磨き上げられてきた。その味は格別で、保管と炊き方を上手に工夫することで、さらに旨さが増す。
 文字通り世界一の米なのだ。安全・安心で旨味の高い日本の米は、それ自体が商品としての高い価値を持つ。しかしそれだけに、さらに旨い米を作ろうとすれば、大変な努力と、生産コストに見合う販売価格が必要となる。
 一方、米は食糧であり、主食なのだから、安く、安定した価格で供給されるべきではないか、という主張もある。そうした声に応えるためには経営を大規模化して効率を良くし、生産性を高めることが必要だ。しかし、これまでの農政の道のりを見ると、農業の大規模化、集約化は必ずしも順調とは言えず、また、米農家がとりわけ豊かになったわけでもない。
 むしろ食生活の変化もあって米の消費量は減った。そんななかで、食味の追求や、産地間の競争は激しさを増している。
 ある識者によれば、国内の産地で最も高値で取引される米は南魚沼産コシヒカリだと言う。つまり、それが米の値段の上限の目安でもある。米作り農家をめぐる状況は厳しく、問題は複雑だ。
 時代は多様な米作りへの模索を促している。そして、米の魅力を高め、付加価値の高い米作りに挑むたくさんの農家がいる。
 宮城県鳴子では、地元の旅館が市場よりも少し高い値段で農産物を購入し、生産者を応援する試みが注目されている。消費者が米作りを守り、地域の人のつながりや文化、景観といった「大切な何か」を守ろうとする動きだ。それは、経済活動だけでは表せない価値と、地域への誇りを取り戻すことに繋がる。

米に関する基礎知識

 日本人が昔1年間に食べた米の量は2俵半。それが1石(150キロ)である。今の日本人が1年間に食べる米の量は約60キロとされ、約1俵にあたる。日本の農家の水田所有面積平均は1町歩(1ha)であり、単位を換えれば10反歩。一般に1反歩からとれる米の量は10俵弱である。
 古川さんの漢方無農薬米づくりは、通常の7割ほどの収穫量。再生した棚田での挑戦は、1反歩あたり3俵という結果だった。
 ところで、郡山市内の米農家の話によれば、通常1俵の出荷時の価格(玄米)は1万2千円~3千円ほどである。
 調べてみると、有機栽培による高級南魚沼産コシヒカリの値段は、キロあたり1000円前後(白米・※注)という米が多かった。一般にブランド米と呼ばれるものは、白米でキロあたり600円~1000円。古川さんの天日干し乾燥による最高級漢方米は特別な限定ルートでの販売となるが、1キロ1600円。(1000円を切る価格に設定した減々農薬米もある)
 通常、主食として食べる一般的な米なら、1キロ300円~400円だとかなりの割安感がある。そこからご飯1杯の価格を計算すると、1キロ15杯として25円程度だろうか。ちなみに1合は約150グラムで、大人1食分、茶碗2杯の分量にあたる。
 米の値段、高いか安いかはそれぞれの捉え方にもよるが、いずれにせよ農家にとっては厳しい経営状況が見えかくれする。
 (※注)注以下の金額は白米の値段。一般に玄米を白米にすると約1割重量が減る。価格は編集部で調べたおおまかな目安。