関心空間 医療を支える人々@
 
政治家が医療に果たす役割
国会議員をたずねて
 
 昨年『がん対策基本法』が成立しました。これはがん対策のための国、地方公共団体などの責務を明確にし、基本的施策、対策の推進に関する計画と厚生労働省に『がん対策推進協議会』を置くことを定めた法律です。がん患者団体の要望に応えるかたちで議員立法として提出されたこの法案は、当初、成立までは難航すると見られていました。けれども世論を受けて与野党が歩み寄り、早期成立につながったのです。
 医学の発展と普及が人類にもたらした恩恵は計り知れません。けれども社会のなかにある医療の営みは、政治や行政を抜きにして語ることのできない側面を持ちます。私たちの暮らしに欠かすことの出来ないものでありながら、少し距離のある政治の世界。そこにはどんな医療への理想や現実があるのでしょうか。
 毎年地元の総合南東北病院でPET健診を欠かさない増子輝彦議員。政界の力学や思想信条を離れ、等身大の政治家の姿を通して、医療にとって大切なものと政治の役割を考えてみたいと思います。
 
参議院議員会館で執務中の増子輝彦議員。7階の窓からは国会議事堂が見える。
壁に飾ってあるのは二本松藩に伝わる『戒石銘』。「役人は領民に感謝し、いたわらなければならない」という綱紀粛正の指針が刻み込まれているという。
窓際には夫人と二人の若き日の思い出の写真が飾られていた。
がん対策基本法をめぐって
 がん対策基本法はがん患者の長い切望が結実した初めての法律である。その特徴のひとつは、がん対策計画を策定するために設置される『がん対策推進協議会』にがん患者、患者家族や遺族が入ることが定められていることだ。
 「患者や家族会といった当事者の声がこれからは医療行政を動かす兆しがここにはあります。政府は三次にわたり10カ年総合戦略を進めてきました。けれども患者や家族にとっては、がんについて納得のいく治療が受けられない不安や不満があるのが現実でした。この法律によって医療を受ける側が主体的に行動し、納得のいく医療を求めていく道が開かれたことは、画期的なことでもあります」
 そう語るのは、民主党『次の内閣』のネクスト経済産業大臣に就任された参議院議員、増子輝彦議員だ。これまでもひとりの政治家として、患者団体や医療の現場の声に耳を澄ましてきた。
 「一概にがん対策といってもがんの予防から終末期医療まで、その内容は多岐にわたります。『がん対策基本法』には緩和ケア・放射線治療の推進・専門医の育成や、がん治療を専門的に行う病院の整備などが盛り込まれました。医療、介護、福祉の改革は財政負担と背中合わせでもあります。毎年一兆円ずつ増加する医療費の抑制が議論の中心に置かれているのです。これはやむを得ないことでもありますが、政治は国民の求めている医療の質を充分に取り入れる努力が必要になります」
 我が国のがん死亡者は年間32万人にのぼる。81年からは日本人死因のトップであり、10年後には45万人が毎年がんで死ぬと予想されている。まさにがん対策は国家の課題だが、アメリカのがん対策予算が約6700億円であるのに対して、日本は約534億円(平成19年度)に過ぎないという。増子議員は、がん治療の重要分野への予算の重点投入と、国家が戦略を持ってがん対策に臨む必要性を強調する。
民主党・ネクスト経済産業大臣に就任された
増子輝彦議員。
マスコミ取材にも追われる毎日だ。
がんの早期発見・早期治療とがん撲滅の医療への共感
 がん対策基本法にも盛り込まれた『早期発見と予防』は国が掲げるがん対策の中心的思想でもある。増え続ける医療費と財源の問題を背景としながらも、それは私たちにとっても歓迎すべき視点だ。病気になって辛い治療するよりも、病気にならないで、あるいは重篤な事態に至らないで済むならばそれにこしたことはない。
 「がんの予防については禁煙や生活習慣の見直しが指摘されていますが、早期発見、早期治療は検査機器を含めた医学の進歩によって初めて可能となりました。がんには治療だけでなく予防や研究など総合的戦略が必要となります。科学的な成果は国民に還元されなければなりません。乳がんのマンモグラフィー検査、あるいはMRIや肺がんに対するヘリカルCT。PET画像診断もそのひとつです。いち早くPETを導入し、がんの早期発見と早期治療を実践し、さらに来年10月の稼働が待たれている究極のがん治療、陽子線治療装置を民間病院として日本で初めて取り入れるなど、『がん撲滅の医療』を推進されている一般財団法人脳神経疾患研究所の理事長、渡邉一夫先生には大いに共感しています」
政治の課題
 増子議員は医療の世界に特別な使命感を感じているという。
 「人の命を救う仕事に携わろうとする医師、看護師、その他の皆さんには頭が下ります。福祉や介護の現場も同じです。奉仕と感謝という言葉がこれほどいきいきと根づいている世界はない。けれども過酷な労働環境の問題があることは十分理解しているつもりです。医療を受ける側にとっては地域間の格差も大きい。医師不足の問題も大きな課題です。先日、奈良県で悲惨なことがありました。救急車で運ばれる途中の妊婦の方が流産してしまった。流産の危険があるにもかかわらす、救急患者を受け入れてくれる病院が見つからない。そこには医療や救急の現場の諸課題が現われていますが、やはり、日本には国民が安心して命を預けられる医療制度が必要です。医療従事者がどんなに必死に働いても解決しない問題もあります。これは政治の課題として肝に銘じています」
 政治の役割には、やはり大きなものがある。医療はひとの生死に直接関わる世界だ。真剣に取り組む議員が、一人でも多くなることが望まれる。
地元郡山と東京との移動はおおむね一人。
新幹線でとんぼ返りすることも日常のこと。
国会議員、あるいは政治家という職業
 さて、国会議員という存在は、日々何を考え、どのように暮らしているのだろうか。
 増子議員が常に持ち歩くのは、議員手帳と携帯電話だ。手帳にはぎっしりとスケジュールが書き込まれ、必要なメモを挟み込んで膨れ上がっている。携帯電話はもちろん通信の道具だが、自身が発行するメールマガジンの原稿をこれで入力し、配信に回しているという。
 「メールマガジンはもう創刊から5年以上が経ちました。週に2〜4回は発行しています。IT技術はいろいろな意見を持つ人たちとのコミュニケーションを可能にする双方向性の手段。ブロードバンドを含めてこれからの可能性には大きな期待をしています」
 かつて、大人になったら何になりたいか、という質問に、総理大臣と答える子どもたちは多かった。けれども今の日本の子どもたちにとって政治家の人気は低い。ウェブの世界でも、アメリカに比べればまだまだ政治を語るページは少ない。政治への関心をどのようにして高めていけばいいのか、増子議員は新しい政治と国民の関係を模索してもいる。
増子輝彦議員が仕事で常に持ち歩くのは議員手帳と携帯電話。これにスケジュール表と資料を持って全国を飛び回る。携帯電話はメールマガジンの入力・発行にも欠かせない必須アイテム。
健康への気づかいといのちの尊さへの思い
 ところで、政治家は体が資本でもある。団塊の世代であり、それだけに健康には細心の注意を払っている。人間ドックは年2回、PET健診も年1回は欠かさない。
 朝は6時頃には起床。朝起きたら水を1リットル飲む。これは『30年以上も前から続けている健康法』だという。水を飲み終えると、その後青竹踏みとストレッチを15分ずつやる。これも毎日欠かさない。青竹は鞄に入れて海外へも持っていくというから徹底している。ストレッチは野球少年だった学生時代、腰痛を治すために自分なりに工夫した。食事も野菜を中心に組み立てる。地元なら夫人が注意を払って献立を作ってくれるが、単身で東京の議員宿舎にいるときも注意は怠らないという。
 「人生は健康に暮らしていけるならば、それにこしたことはない。健全な肉体に健全な精神が宿る、と昔から言われていますが、楽しく元気に生活し、誰にも迷惑をかけず、ころりと黄泉の国へ旅立ちたい。『PPK』、つまり『ぴんぴんころり』です。尊厳死の法制化にも力を注いでいます」
 好物は甘いもの。特にあんこの類いが大好きだ。趣味が高じていつの間にか『日本あんこ党』の総裁になってしまった。「皆さん、是非入党を」と増子議員は勧めるが、その主な活動は同好の士とともに大好きな甘いものを食べ、紹介しあうこと。健康上どうか、ということはあえて問わないことにしよう。
経済と環境が共存する未来へ
 最後に、政治家にとって大切なものとは何かを聞いた。
 「グローバルな関心とバランス感覚。地球規模の視点と地域の視点のバランス。経済産業の世界でも、これからは環境との調和が大事です。環境への負荷の少ない産業構造の確立が望まれてきています。ビジネスも環境志向の流れがより活性化していくことでしょう」
 昨今よく耳にする“エコ”という言葉は『環境(エコロジー)』を意味するが、実は『経済(エコノミー)』も同じ語源だという。増子議員はかつて『包装容器リサイクル法』の成立に力を尽くした経験もある。二つの“エコ”が共存する時代、それにふさわしい新しい政治家像が求められてもいる。
●増子輝彦(ましこてるひこ)プロフィール●
参議院議員。福島県郡山市生まれ。59歳。早稲田大学商学部卒業。
福島県議会議員から衆議院議員を3期務め、2007年の参議院補選福島選挙区で参議院初当選。
衆議院商工委員会理事・安全保障特別委員会理事・外務委員会野党筆頭理事などを歴任、国会議員年金廃止民主党議員連盟会長として「議員年金廃止」を実現した。
主な役職/参議院経済産業委員会理事。民主党「次の内閣」ネクスト経済産業大臣。
増子輝彦議員のライフワークのひとつに農業がある。自分でも農家から水田を借り、14年来無農薬農業を取り組んできた。汗を流して自然と向き合い、農業と食の安全に思いを巡らせてきたという。
その実感として語られるのは、農家が他産業並みの生涯所得を得られるような農業のこれからの姿だ。
「それができなければ、日本の農業は衰退してしまうでしょう」と増子議員は語る。
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