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がん陽子線治療をめぐって
最新の物理学がもたらしたがん治療の未来
 
 「南東北がん陽子線治療センター」はすでに建物が完成し、陽子線装置の設置と調整が進められている。今後、実際の運用に向けた検証試験が進められ、来年10月にはいよいよオープンを迎えることになる。
 この陽子線治療装置の導入は、“民間病院では初”というビッグプロジェクト。渡邉一夫理事長のがん撲滅に向けた理想と英断が原点にある。
 その心臓部は言うまでもなく陽子線治療装置。わが国の「第3次対がん戦略」でも重点研究分野として取り上げられ、実用化が目標とされてきた。今回は陽子線治療装置の設計・開発に取り組む三菱電機のチームリーダー、福本信太郎さんへのインタビューを通して、最先端の科学技術がもたらした医療の未来と“がん治療”への貢献を探ってみた。
 
南東北がん陽子線治療センタープロジェクトリーダー 福本信太郎さん
陽子線でがんを狙い撃つこれからのがん治療
 陽子線治療とは、陽子(水素の原子核で、素粒子の一つ)という目に見えない小さな粒子を利用した放射線治療の一種である。放射線治療というと、私たちはX線治療を想像するが、この陽子線治療装置には、想像を絶する最新の科学技術が注ぎ込まれているらしい。
 「陽子線を含めた粒子線装置は、もともとは粒子加速器と呼ばれる素粒子などの最新の物理実験に使う研究用の装置で、がんの陽子線治療は、その医学への応用ともいえるものです。スウェーデンやアメリカでがん治療への応用が始まったのは1950年代のこと。日本では、つくば市の高エネルギー加速器研究機構の巨大な物理実験用の装置を使い、筑波大学の医師たちによって、陽子線治療の研究が始まりました。1980年代頃からでしょうか。こうした加速器には、私たち三菱電機の研究チームも関わってきています。臨床試験を積み重ね、がん治療への効果が認められたことから、さまざまな実用化への努力が積み重ねられ、今日に到っています」
 そう教えてくれたのは、福本信太郎さん。粒子加速器の専門家として20年以上のキャリアを持つ。医療用陽子線治療装置の開発の専門家でもあり、南東北がん陽子線治療センターではプロジェクトリーダーを務める。
 陽子線は、体の中で高速で飛んでいる間は周囲に影響を与えないが、ある一定の深さで完全に止まり、その際に大きなエネルギーを発するという性質がある。そのため、体内の病巣だけに集中して照射することができ、がん細胞の遺伝子にダメージを与えることができるのだ。がんだけを狙い撃ちできるため、従来のX線よりも副作用が少なく、体への負担が少ない。いわば未来のがん治療法として期待されてきた。けれども実際に粒子線を用いた治療が行われている医療施設は、国内でまだ6ヵ所にすぎない。しかもそれらは公的な施設ばかりである。
 一般財団法人脳神経疾患研究所が国内で初めて民間病院として導入を決めたことで、陽子線治療装置の開発チームは、これを可能な限りコンパクトにし、医療に特化した信頼性の高い装置を目指したという。
 「そうした現実的な医療の要請に応えられる装置がつくれなければ、陽子線治療も普及しないわけですから」
陽子線放射装置のイメージ図 南東北がん陽子線センターの外観。
1日に100人近い治療が可能だという。
実験用加速器から医療の世界へ
 加速器というのは、もともと純粋な物理実験のための装置である。物理学の先端の実験に使われる、いわば“ノーベル賞を生み出すための装置”のようなものだ。事実、数年後の稼働を目指してスイス、フランスの国境をまたいで建設されている巨大な衝突型の粒子加速器には、30ヵ国といわれる国々が参加し、さまざまな素粒子物理学モデルの検証実験が予定されているという。全く新しい未知の粒子が姿を現すかもしれないのだ。そんな純粋なロマンが込められた装置である。物理の専門家でなくても大きな好奇心をかき立てられるが、国家規模の巨額の予算を要することもまた事実である。
 「極端な言い方をすれば、学者や技術者のエゴで大金を使っているともいえるかもしれません。それはそれでやり甲斐は感じていましたが、陽子線治療に関わるようになってからは、世の中の役に立つ、という実感が得られるようになりました。最初は自分たちの最先端の技術を何とか使ってほしい、という思いが勝っていましたが、ドクターや技師の皆さんから実際の治療効果のお話をうかがい、何となく今では違ってきましたね」
 あるとき、福本さんは患者さんが興奮気味に電話をしている声を耳にしたという。兵庫県立粒子線医療センターで打ち合わせの時間を調整していたときのことだ。
 「ロビーの電話で話すのが、聞くとはなしに聞こえてきました。おそらく前立腺がんで陽子線治療を受けている方が、家族の方に電話されていたのでしょう。奇跡のようだ、と。PSAの値がこれだけ下ってな…。この前3桁あったのが、今度計ったら2桁。もしかしたら治るかもしれない。そう話していたんですよ」
 そんな心動かされるお話が、あちこちに生まれてきているのだろう。
照射された陽子線はある一定に深さで完全に止まり、その際に大きなエネルギーを発する。
この性質を利用してがんの病巣だけを狙い撃つことができる。
陽子線がん治療装置の理想型を求めて
 三菱電機では、これまでも放射線治療と加速器の両分野、そしていわゆるプラント制御という原子力のノウハウと実績があった。実験用の加速器開発では、複数の企業が共同で技術を担うのが一般的であったが、兵庫県の粒子線医療センターでは単独の企業として開発を手がけた。2002年には水素イオン(陽子)の粒子線を使った装置を開発し、医療器としての承認を取得する。陽子線治療装置のプロジェクトには、実に100人を超える専門家集団が関わってきたのだ。
 「兵庫の次に手がけたのが、静岡のがんセンターです。シンクロトロンというタイプの加速器では、その当時世界最小、医療専用に開発しました。それから7、8年が経ち、十分な運用実績が蓄積されています」
 そうしたノウハウが南東北陽子線治療センターの装置には注ぎ込まれている。設計のベースになっているのは静岡の陽子線装置だ。そこに兵庫での運用実績による改良がさらに加えられ、装置は現実のがん治療に最適化された。こうして誕生した世界最小の加速器は、高性能とコンパクトという相容れない理想を実現した。安全性については言うまでもない。
 「今後の標準機の第一号機がここで完成したと考えています。やっとここまできた、というのが正直な実感です」
 実際のがん治療は1〜2ヵ月ほど行われる。陽子線の照射は1回2〜3分で、例えば前立腺のがんだと全体で37回くらい。照射治療が終わって4ヵ月くらいかけて、がんはどんどん小さくなって消滅するという。
 治療にあたっては、まずMRでがんの輪郭を調べる。それに対してどれだけの線量を照射するか、CTをもとに計算する。こうして得られた密度情報から、陽子線照射のコンピュータシミュレーションが繰り返され、最良の照射方法が導き出される。一方、がんの形に合わせて、陽子線にブレーキをかける型枠が作られ、正確にがんに陽子線が当たるように調節が進められる。
 照射するビームは、1ミリ以内の精度だという。計画通りの照射が行われていたかは、PETカメラの観察によって視覚化できる。こうしたがん治療の体系化には、兵庫県立粒子線医療センターの医師たちが積み上げた臨床と研究データが活かされている。
 今後、旧来の外科手術などと共存しながら、陽子線治療はがん治療の中心的な役割を担っていくことになるだろう。できるだけ早くがんを見つけて早期に陽子線を照射すれば、文字通り“がんは治る”時代が始まったのだ。
写真左/シンクロトロン(粒子加速器) 
シンクロトロンという1周約20メートルの円形の加速器の中で、陽子は光の約7割という速さにまで加速される。
高エネルギーの状態になった陽子線ビームは写真左下の回転ガントリー照射室に運ばれて照射される。
世界最小の医療用陽子線治療装置だが、その巨大さは想像を絶する。

写真右/回転ガントリー照射室
直径10m、総重量200tもある巨大なガントリー内部の照射室。
患者さんの周囲をコンピュータで制御された陽子線照射装置が動き、正確に病巣を狙い撃つ。
治療中は痛みも不快感もない。1回の照射時間は2〜3分。
通院で治療できるため、QOL(生活の質)に影響しないがん治療でもある。
福本 信太郎(ふくもと・しんたろう)
三菱電機株式会社 電力システム製作所
磁気応用先端システム部 専任
南東北がん陽子線センタープロジェクトリーダー
(略称:STR PT PL)
子どもの頃は、ジャーナリストを目指す文学少年だったというが、高校2年生に頃、ふと物理学に興味を抱き、応用物理学の道に進む。専門は核融合。クリーンなエネルギーの世界に魅かれたのが理由だ。その後、三菱電機に就職、核融合の研究に始まり、粒子加速器の研究・開発を続け、巨大な実験用陽子線装置の小型化と高性能化、及びその医療への応用に力を尽くしてきた。
1957年 兵庫県生まれ
1980年 大阪大学工学部応用物理学科卒業
1982年 大阪大学大学院
工学研究科電磁エネルギー工学専攻修士課程修了
1982年 三菱電機株式会社・神戸製作所開発部
2001年 同・電力・産業システム事業所原子力部
加速器・超電導応用技術科 課長
2005年 同・電力システム製作所磁気応用先端システム部
南東北がん陽子線センタープロジェクトリーダー
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