豊穰の海を支えるもの
唐桑の牡蠣を訪ねて
 
 川が流れ込む海には旨い物がある。塩釜仲卸市場のまとめ役、渡邉勝之さんの言葉を聞いて、「森は海の恋人」の話を思い出した。牡蠣養殖業を営む畠山重篤さんが続けてきた漁師の植林活動である。海のミルクとも呼ばれる牡蠣。二次感染によるノロウィルスの風評被害で出荷もダメージを受けたというが、それだけに生産者たちの安全、安心にかける熱意は本物だ。海苔の種も牡蠣の殻で育つという。繊細かつ壮大な海の循環のなかで、どうやら牡蠣をめぐる世界から見えてくるものは示唆に富む。そんな牡蠣と海の現場を確かめに、気仙沼唐桑半島の舞根湾を訪ねてみることにした。
 
畠山重篤(はたけやま・しげあつ)さん
/1943年中国上海生まれ。宮城県気仙沼湾の唐桑で牡蠣や帆立の養殖業を営む。フランス・ブルターニュ地方やスペイン・ガリシア地方を訪ねた体験から、森、川、海の関係に目を向ける。漁師仲間とともに89年「牡蠣の森を慕う会」を立ち上げ、漁民による植林活動を続けている。
「みどりの日」自然環境功労者環境庁長官表彰他、受賞多数。
京都大学フィールド科学教育研究センター社会連携教授

に載せて冷やした殻付きの生牡蠣にレモンを絞り、つるりといただく。海の凝縮された旨みが口いっぱいに広がっていく。海のミルクとも呼ばれるだけに、牡蠣は栄養も豊富で、たんぱく質、カルシウム、リン、鉄分、ヨードや各種ビタミンもふんだんに含まれているらしい。まさに栄養の固まりだが、カロリーは意外に少ない。旨みとこくをもたらすグリコーゲンも豊富で、肝機能強化、造血、免疫力強化、高血圧や動脈硬化の予防のほか、精神を安定させる効果も指摘されている。  
 ヨーロッパでは、ローマ時代から精力増強効果が注目され、広く食されていたらしいが、シーザーやナポレオンが無類の牡蠣好きだったという言い伝えもある。欧米人は生食を嫌うのではなかったかとも思うのだが、どうやら牡蠣は例外らしい。  
 シャンパンや白ワインを飲みながら、新鮮な生牡蠣を楽しむ。海が違えば牡蠣の味も変わる。地中海沿岸や北米、オーストラリアの牡蠣を一度に食べ比べする洒落たオイスターバーも人気の食のスタイルだ。日本ではまだまだ馴染みは少ないが、欧米ではそんな店が流行っているらしい。  
 ところで、フランスの牡蠣が1970年前後、病気で絶滅しかけたことがあった。そのときにフランスに持ち込まれ、牡蠣の食文化を救ったのが、実は宮城産の真牡蠣である。  


唐桑の海へ
 気仙沼湾に注ぐ大川を渡り、車を走らせる。ナビの案内に従って進むと、何故か山道に入り込んでしまった。狭い上り坂を走りながら海に向かうというのも不思議な気分だ。十分ほどだろうか、峠を越えた山道の果てにようやく海が広がる場所に辿り着く。  
 尾根が海に突き出した、入り組んだ谷のような海だ。外海とは狭い水路のような自然の通り道で結ばれている。巨大な天然の生け簀のようにも思える。どこの海でも見たことのない景観が広がっている。  
 ここはリアス式海岸である。川が流れて作られた尾根と谷の地形がそのまま陥没し、海水に浸されたという複雑な海岸線。湾には川が流れ込み汽水域(きすいいき)を形成する。汽水域とは川の水と海水が混じり合う水域のことだ。そこで牡蠣は育つ。
「川には、人間の生き様がぜんぶ現れている。その河口で育つ牡蠣のお腹を、日に約二百リットルもの海水が通過する。牡蠣はそのなかのプランクトンを食べて育つのだ。そういう意味で、牡蠣からすべてが見えてくる。牡蠣は、そんな要(かなめ)のところにいる生き物」。畠山さんの著作にそんな一文があったのを思い出す。
写真左/気仙沼市唐桑半島の舞根湾。リアス式の複雑で静かな入り江に畠山重篤さんらが営む牡蠣の養殖筏が浮かぶ。
写真上/養殖牡蠣の水揚げ作業。牡蠣は養殖でも天然ものと変わらない自然まかせの成長過程をとる。それだけに味わいも格別なのだ。

「森は海の恋人」漁師たちが森を育てる
 気仙沼は文学の町でもある。歌人で国文学者、落合直文氏の出身地でもあることから、特に短歌が盛んだ。牡蠣養殖業を営む畠山重篤さんも若い頃から俳句や短歌に親しんできた文学青年の顔を持つ。2004年には日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しているが、小・中学校の教科書にも掲載された『森は海の恋人』運動でその名を記憶している人のほうが多いかもしれない。
つて、気仙沼湾の海苔養殖が壊滅的な打撃を受けてしまったことがある。唐桑の海も赤潮プランクトンが発生し、牡蠣にも影響が出始めていた。海が悲鳴を上げていたのだが、何をどうすれば、海を守れるのか、見当もつかない状況が続いていたという。学問的な研究も当時はまったく進んではいなかった。そんなとき、畠山さんはたまたまフランスを旅する。84年のことだ。牡蠣の産地でもあるブルターニュの海を訪ね、フランスの牡蠣養殖を見学するなかで川そのものの健全さを実感する。シラスウナギ(ウナギの稚魚)が採れ、そのパイ包み焼きが名物とされる地域である。川が健康に保たれていないとウナギは捕れない。畠山さんは、まるで三十年以上も前の宮城の海を見る思いがしたという。そして、川の上流域には広大な広葉樹の森が広がっていることに気づく。「森が海を育てているのではないか?」それは牡蠣養殖者の直感でもあった。日本には『魚つき林』という言葉があり、山や森が魚にとっても大切であることを、昔から漁師は経験として知っていたのだ。
んな思いを抱きはじめていた頃、北海道大学水産学部教授だった松永勝彦さんの研究が発表され、科学的なメカニズムが明らかにされる。植物性プランクトンを餌にして牡蠣は育つが、そのプランクトンは、広葉樹が作り出す栄養豊富な土壌に含まれるミネラル(鉄分など)を必要とする。それが川によって山から運ばれ、豊穰の海を育てているというわけだ。  
 牡蠣、ホタテ、しじみといった貝類、サケやうなぎもそうだが、川がある海と、ない海とでは漁獲量も違う。唐桑の海は室根山から流れ込む大川によって栄養が供給されていることも明らかにされていく。1989年、畠山さんは漁師仲間とともに山に樹を植える活動を始める。

森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく(熊谷龍子)  

 この歌から『森は海の恋人』運動と名づけた漁師たちの植樹活動はすっかり有名になり、今では毎年6月に行われる地域の祭りとしても定着している。現在、畠山さんは忙しく全国を駆け回り、講演に追われる毎日だ。春から夏にかけては子供たちが畠山さんの養殖場を訪れ、現場の授業≠ノ目を輝かせている。  

「森は海の恋人」運動は全国に名を知られるようになった。室根山の植樹祭には近隣からばかりでなく、活動に共感し全国から駆けつける人で賑わう。今年の植樹祭は6月1日(日)に開催予定。

写真右下/子供たちの体験学習を指導する畠山重篤さんの三男、信(まこと)さん。
写真左下/子供たちの体験教室。船に乗り、海と川と森との関わりを学ぶ。

牡蠣をめぐる奥深い世界
 取材に訪れた日、唐桑の養殖場で話を聞かせてくれたのは、畠山重篤さんの三男、信(まこと)さんである。  信さんはC・W・ニコル氏のもとで環境保護や生態系調査を学び、五年前まで屋久島で環境を守る仕事に携わっていた。今は故郷に戻り、父と同じ牡蠣養殖業を営んでいる。  
 「生産者であり続けることがすべての基本」と、信さんは言う。牡蠣の養殖を通して海や自然と向き合う、等身大の生き方に気負いはない。父親が挑んだ牡蠣と自然環境をめぐる冒険は、確実に次世代へと受け継がれているようだ。
蠣を通して見えてくる世界は、実に示唆に富む。海と森、人と自然との関わりは言うまでもないが、食文化の視点からも興味深い話は尽きない。例えば、ヨーロッパでも牡蠣に当たる人はいるはずなのだが、それが大きな問題にはならないのだという。何故ならば、昔から食べたい人が自分の責任で口にするという考え方が、おおもとにあるからだ。なるほど、と感心する。生牡蠣は特別な食なのかもしれない。もっとも、日本では出荷段階から殺菌作業には細心の注意が払われているし、心配なら熱を通して食べれば問題はない。  
 さて、畠山さんの養殖場は日本でただ一か所、フランス牡蠣の養殖に成功したという。アメリカのオリンピア牡蠣やシドニーロックオイスターの養殖でも、実は日本で初めて成功したのだそうだ。それだけを聞いても、半端ではない牡蠣への思いがひしひしと伝わってくる。宮城産の真牡蠣とともに、世界の名だたる生牡蠣を味わえる喜びは、牡蠣好きにとってはたまらない。  
 どこかエロスを讚えた牡蠣。レモンを搾り、口に流し込む誘惑には抗し難い。油断していると、そんな生牡蠣の虜(とりこ)になってしまいそうではないか。

畠山信さん
/畠山さんご家族が営む『水山養殖場』の目の前は豊穣の海。信さんは科学的な環境調査の専門家でもあり、「牡蠣の森を慕う会」の上席研究員としても活動する。紫外線殺菌や清浄海水循環装置というシステムにより四季を通して味わえる新鮮な生牡蠣は取り寄せにも応じてくれる。
 
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