がんと闘い、がんを生き抜く
陽子線治療の体験から
 
 意識的に検診を受けることで見つかったがん。一時は手術と放射線治療で良好な成果を得たのですが、その後、別の新しいがんが見つかり、石松良彦さんは陽子線治療に辿り着きます。最新の臨床と先端技術を駆使した陽子線治療...。今回は全国を縦断して展開している「陽子線市民公開講座」での講演から、その貴重な体験談をご紹介します。兵庫県立粒子線医療センターでの”食道がん患者第一号”としてその治療を受け、”寛解”に至るまでのドキュメントは、私たちにがんと闘う勇気を与えてくれます。
 
【陽子線市民公開講座】患者代表の方のお話をもとに
 
ついにがん告知を受ける
  石松良彦さんは現在69歳。トヨタ自動車にエンジニアとして勤務し、定年退職されました。科学技術にも精通した、いわば技術畑のエキスパートです。医療と健康への関心も高く、特にがんに対する意識は高かったそうです。早期発見の重要性についても当然理解しており、がん年齢と呼ばれる四十代になってからは定期的にがん検診を受け、自分の体と健康をチェックしてきました。
 「40歳以降は毎年定期的に会社内で誕生月の8月に胃や肺などのがん検診を受けました。少しでも胃に異常があると認められた場合には、胃カメラによる精密検査が追加されました。その時には、自分でもセカンドオピニオンを求めて、自己負担をもいとわずに愛知県がんセンターへ駆けつけました。  
 定年退職後は豊田市の老人検診を毎年受けるだけでなく、それとは別に、年に一度は簡単な人間ドックも自主的に受けていました」
初のがんが見つかったのは、64歳のときです。平成14年10月29日の検診で、ついに胃がんが疑われました。 「かかりつけの病院で細胞検査の結果、11月28日には胃がんの告知を受けました。我が人生もこれで終わりか、と覚悟しました」  
 その時に見つかったのは、自覚症状のない胃がんでした。医師からの告知に、石松さんはやはり大きなショックを受けたそうです。告知の2日後、石松さんは母校、九州大学航空工学科の同期会に参加していますが、胸中では恩師の方々や同期の仲間たちに死ぬ前の挨拶をするつもりでした。  
 その日の二次会は福岡市の有名な繁華街、中洲にある飲み屋さん。同窓会の二次会としてたびたび利用していた店でしたが、石松さん自身は10年ぶり。馴染みの客というわけではなかったそうですが、ふと、その店のママに、自分もとうとうがんになってしまった、と打ち明けたそうです。 「ママさん、胃がんの告知を受けたので、死ぬ前の挨拶に来ました」 「どこで手術するの?がんは一発勝負よ。名医がいるから紹介してあげる。私はこれまで30年、伊達に飲み屋のママをやってきたわけじゃないのよ。まかしとき」  そんなやりとりをしてから4〜5日経った頃、ママから電話がかかってきました。「愛知県がんセンターの山村部長にお願いしてあります。12月9日が診察日です」と言うのです。
 
 
胃がんの手術と食道がんの放射線治療
 診察の日、愛知県がんセンターで診察して下さったのは、山村義孝先生でした。山村先生は千人を超える胃がんの手術を重ね、平成19年度には日本胃癌学会の会長を務められた名医でした。かかりつけの病院でコピーして貰った検診資料をお見せすると、「消化器内科の専門医に内視鏡でもう一度、念のために検査してもらいましょう」と山村先生はおっしゃいました。
3日後の12日には入院することになり、内視鏡の専門医による14日の検査では、何と胃がんのほかに食道がんが二つも見つかりました。その他の検査資料も克明に検討された結果、山村先生は「最初に胃がんの手術をし、体力の回復を待って食道がんの治療をしましょう。食道がんも幸い初期のものなので放射線治療でも良いと思います。放射線治療部の不破信和部長にお願いすることにしましょう」との診断で、自信に満ちた声は大きな励ましになりました。  
 不破部長は現在、南東北がん陽子線治療センター所長に就任され、陽子線治療を軸に、放射線療法、化学療法、内視鏡や外科手術を組み合わせ、がん治療の未来に挑もうとされています。  
 12月19日の手術では、胃の3分の2を切除しましたが、転移も発見されず、輸血もせずに終わりました。しかし、胃が小さくなったため一度に食べられる食事量が減り、体重は54キロから46キロにまで落ちてしまいました。  「 実は私の母は38歳の時に乳がんを、73歳の時に皮膚がんの手術を受けています。けれども、明治から平成と、93歳まで生き延びたことをあらためて思い出し、母を見習ってがんと闘おうと覚悟を決めていました」  
 石松さんは、当時の心境をそう振り返っています。
 
 
副作用に苦しんだ食道がんの放射線治療
 食道がんの放射線照射治療は、自宅から車で通院して受けました。最初の頃は体に何の異常も感じませんでしたが、途中から食欲が落ち、嘔吐が頻発しました。一度嘔吐が発生すると5分から10分間隔で半日以上も続くこともあったそうです。 
 「半日嘔吐が続くと、息を吸っても吐いても胸や腹部の筋肉が猛烈に痛みました。このときに私は、嘔吐とは全身運動だったのだと初めて気付きました。夜は洗面器を抱いて寝ていました。そんな数日を繰り返した後のある朝、急に嘔吐が止まったので風呂に入りました。  
 体を洗い終え、洗い場で立ち上がった瞬間に脳貧血を起こしたのか気絶し、鋳物ホーロー製の浴槽の淵に額を強打しました。それでも目が覚めず浴槽に上半身を突っ込んだままでした。物音に気づいた妻が駆けつけ背後から体を救い上げたとき、やっと目が覚めました。間一髪で助かりました。鏡を見たら額から血がだらだらと流れ落ち、風呂の壁にも血が飛び散っていました」  
 石松さんは、愛知県がんセンターに緊急入院し、嘔吐止めの点滴等の応急処置を受けた結果、事なきを得ました。
作用の現れ方には個人差が大きいようですが、石松さんの場合には、かなりひどい症状に悩まされたようです。  放射線治療の後半には、腔内照射を受けました。チューブを食道に挿入し、チューブの中にイリジウムを差し込み、機械でゆっくりとイリジウムを引き上げながら、食道の内側から放射線を照射しました。  
 この治療法は、放射線源をがん腫瘍の中に挿入することで腫瘍には多くの放射線を照射し、正常組織の放射線量を抑えることができます。外部からの照射ではとても治療できないがんを治癒することができるのです。  
 けれども、食道全体にぴったりとチューブがはめ込まれていたため、唾液を飲み込むこともできず、石松さんは辛い思いをされたようです。3月18日、治療が計画通りに終わったときには、心からほっとしたとのことでした。  
 放射線照射治療は、治療が終わってもがんが治ったか否かはすぐには分かりません。効果はゆっくりと現れ、がん細胞が消えるまでには3ヵ月近く(場合によっては半年位)かかるのだそうです。石松さんは、その間も定期的に検査を受けました。6月30日になってやっと待ち続けていた”寛解”の診断が出ました。  
 寛解とは検査でがん細胞が見つからなかったという意味にすぎず、完治とは異なります。がんが転移したり再発したりする可能性は常に残っています。でも、石松さんは安堵しました。
 
 
写真左/最初に見つかった胃がんは外科手術で除去
写真中央/頚部食道がんへの陽子線照射治療を受ける石松氏
写真右/陽子線治療の効果を見るために内視鏡撮影した食道。2カ所にがんの位置を示す器具が埋込まれている  
 
石松氏のがん治療のまとめ
胃がん 外科手術 (平成14年12月19日
食道がん 放射線照射 (平成15年1月14日〜3月18日)
体外照射:X線⇒25回×2グレイ
腔内照射:イリジウム⇒4回×3グレイ
胸部食道がん2個 内視鏡による剥離 (6月27日)
頚部食道がん1個 陽子線照射治療 (平成19年7月24日〜9月13日の月曜〜金曜日)
36回×2グレイ/1回=72グレイ 週末(金曜夕方〜月曜早朝)は帰宅
 
 
新しいがんが見つかり陽子線治療を選択する
 主治医の不破先生の指示で、その後もPETを含めたいろいろな検査を定期的に受け続けました。4年後の昨年5月11日に受けた7回目のPET検査でも異常は見つかりませんでした。ところが、6月1日の内視鏡によるルゴール染色法で、新しい食道がんが同時に3ヵ所も見つかりました。再発ではなく、新発がんでした。食道がんは一度発生すると、寛解後でも、何度も発生する傾向があるのだそうです。  
 さて、放射線や粒子線で一度治療した場所にがんが再び発生した場合、放射線治療も粒子線治療も再度使うことは危険だと言われています。食道がんでは治療部位の食道粘膜が劣化しており、穴が開いたり出血したりするおそれがあるからだそうです。  
 3つのがんのうち、2つの胸部食道がんは以前に放射線治療を受けていたところであり、石松さんは放射線以外の治療方法を選択する必要がありました。治療方法としては、食道の切り取り手術があります。ところがこれはすい臓がんの手術と並び称されるほどの大手術。10時間を越える場合もあるそうです。  
 今回は幸い初期がんだったため、不破先生や内視鏡医との相談の結果、内視鏡による剥離手術を選択しました。50例以上の手術経験を持つ内視鏡医の腕は確かなもので、幸い手術は成功しました。  
 頚部食道がんは大きく広がりすぎていて内視鏡での剥離手術は難しいと診断されました。しかし、この頚部食道がんは以前の放射線治療をまだ受けていない部位だったため、不破先生は4年前と同じ放射線治療でも寛解の可能性は高い、と診断しました。
ころが、石松さんは最初に受けた放射線治療での副作用の辛さを思い出し、陽子線治療を選択できないか、と不破先生に相談します。石松さんはインターネットなどを通じて最新のがん治療法についても勉強を重ねていました。食道がんへの陽子線治療がまだあまり行われていない頃でしたが、引き受けてくれるところがあれば、全国どこのセンターであろうとも出かけたい、と強く希望したのです。  
 不破先生からは「どこかが引き受けてくれる可能性はありますよ。私が国立がんセンター東病院に送り込んだ患者さんは、東病院での食道がん患者第一号になりました。今度は兵庫県立粒子線医療センターに相談してみます」との嬉しい回答でした。
 
 
第一号患者として食道がんの陽子線治療へ
 兵庫県立粒子線医療センターの菱川院長と医療部長村上医師は、快く治療を引き受けてくれました。食道がんでは第一号の患者です。食道がんが陽子線の治療対象としてそれまで取り上げられなかった理由は、治療中に患者が呼吸すると食道の位置が移動するため、陽子をがんに正確に照射するのが難しい点にありました。  
 陽子線治療では、通常一人ひとりの体にぴったり合わせて作られた硬質プラスティックス製のカバーで、患者はベッドに固定されます。治療中に位置が変わらないようにするわけですが、食道がんの治療では、さらにお腹の上に位置決めセンサーが取り付けられました。呼吸によってセンサーも動き、そのセンサーの移動量に連動して陽子線の照射の位置を制御し、陽子ががん細胞にぴったりと届くようにするのです。  
 この治療を成功させるために、一定のリズムで、一定の大きさの呼吸が出来るようになるまで、石松さんは何度も呼吸の訓練を受けました。必要な準備や諸検査を済ませた後、7月24から毎日1回の照射治療が始まりました。途中機器の定期的な保守やお盆の短い休み等で治療できない日もありましたが、ほぼ順調に治療は進み、9月13日には退院することになります。
「放射線や陽子線の累積照射エネルギーには許容限界値があり、おおむね70グレイ前後と言われています。今回、36回の照射で72グレイに達しましたが、この上限一杯まで照射してもがん細胞が消滅しなければ、最後に残された手段は外科手術だけになることは覚悟していました。もちろん、手術をするにしても、がんは相当小さくなっているはずですから、体にあまり負担をかけずに手術できると考えました。  
 陽子線照射治療にも軽い副作用が発生しました。最初の一週間は何の影響も出ませんでしたが、食道の粘膜に軽い炎症が発生したのか、食べ物を飲み込むときに軽い痛みを感じるようになりました。そのため、食べ物を噛む時間を長くし、流動食のようにして少しずつ飲み込みました。  
 多少の無気力感や、食欲の衰えもあり、体重の減少を恐れ、売店で間食用に握りずしやチョコレートを買ってはカロリー不足を補ったものの、体重が2キロ軽くなりました。しかし、治療完了後にはわずか2週間で副作用も消滅し、年末までには体重も54キロに戻りました」  
 陽子線照射治療に伴う副作用は、4年前に受けた放射線の副作用に比べれば、格段に小さなものだったそうです。石松さんは陽子線治療を選んで本当に良かった、と話しています。
 
 
がんを生き抜き憧れのアフリカの大地へ
 石松さんは64歳の時に初めてがんの治療を受けて以来、がんの再発や転移、新しいがんの発生の可能性に、常に不安な日々を過ごしていました。いくら月日が経ってもこの不安はなくなりませんでした。そんな毎日の心を支えてくれたのは、親しい友人達や家族の励ましです。退院後の10月1日には、長い間支えてくれた奥様に感謝すべく、石松さんは夫婦で群馬県の尾瀬に出かけ、草紅葉を見ながら心安らかなひとときを過ごされたそうです。
て、上方右の写真は退院後の11月5日に、治療効果を見るために撮影した食道です。蛍光灯のグローランプのようなものが2個ありますが、がんの位置をX線透視のときに分かるようにするために埋め込まれている金属です。半年もすると自然に剥がれ落ち排泄されます。  
 この写真を見て、主治医はまだ寛解していないと判断しましたが、12月7日の検査写真を検討した結果、12月10日に寛解したとの診断が下されました。  
 寛解の言葉を聞いた途端に、石松さんは胸が高鳴りました。以前から出かけたいと思っていた、サハラ沙漠の南、ブラックアフリカと呼ばれる西アフリカへの旅を心に決めたからです。  
 ついに旅は実現しました。ドゴン族の若者達による仮面舞踏会。泥で作られた世界最大のジェンネの巨大モスク。アフリカの過酷な大地に、どっしりと何百年にもわたって聳え立つバオバブの大木。8カ国を巡り、がんの悩みもすっかり忘れて、自分もまだ何か出来るのではないか、という気概や生命力を、石松さんは旅を通して受け取りました。
「がんをいたずらに怖れる必要はありません。でも油断大敵。侮ることもできません。定期的に検診を受け、自覚症状が出る前にがんを発見し、最新の医療技術を駆使した早期治療に徹すれば、海外旅行に限らず、一秒一刻がますます貴重に感じられる人生を、もっともっと長く満喫することが出来ます。その生き証人の一人が私です」
 
貴重な人生を全うするためにも早期発見でがんに打ち克ちましょう。
写真左/石松良彦さんが食道がんの陽子線治療を受けた兵庫県立粒子線医療センター内の粒子加速装置の前で
写真中央/バオバブの大木の下で
写真右/仮面をつけたドゴン族の若者達と
不破 信和 先生 Dr.Nobukazu Fuwa
専門/放射線治療
一般財団法人脳神経疾患研究所 南東北がん陽子線治療センター長
愛知県がんセンター中央病院副院長 放射線治療部長 兼務等を歴任 
 
 
この記事は陽子線市民公開講座での石松良彦さんの講演レポートをもとに、総合南東北病院広報課の協力を得て再構成いたしました。 なお、石松氏のホームページはhttp://www.hm3.aitai.ne.jp/~isimatu/index.htm(または「石松良彦の海外旅行記」で検索可)
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