空間 医療を支える人々(3) 
特集◎陽子線治療 
がん治療体験から
 
 
9月14日に総合南東北病院NABEホールで開催された『市民のためのがん治療の会』主催の特別講演会。陽子線治療が従来の治療と比べてどのような点で優れているか、また、がん治療において放射線治療がいかに有効かについての解説とともに、貴重ながん治療体験が紹介されました。今回はその一端に触れ、家族の立場から「絶対に命を救いたい」と、正面からがんに向き合った闘病経験をご紹介します。 
  
国境を越えて経験した素晴らしい医師たちとの出会い
3人に1人ががんを発症するという現代。私たち日本人は、がんとどう向き合っていけばよいだろうか。本紙34号でご紹介した『市民のためのがん治療の会』主催の講演会では、患者の立場からがん医療のより良いあり方を求めようとする患者会のあり方と、その主旨に賛同し、積極的に支援・協力しようとする医師たちの存在を知らされた。今回は南東北がん陽子線治療センターで広報を担当する櫻井祐美さんのお話から、国境を越えてがん治療に取り組んだ経験を通して知らされたがん治療にとって〝大切なもの〟を見つめてみた。
 
 
第一号治療の陽子線照射スイッチを押す渡邉一夫理事長と、それを見守る不破信和センター長(右端)
ほか陽子線治療を支えるスタッフの皆さん
 
世界が注目する陽子線治療が始まって
10月17日、南東北がん陽子線治療センターで初めての陽子線治療が行われた。第一号の治療患者となったのは、前立腺がんの男性の方である。不破信和センター長や多くのスタッフが見守るなか、渡邉一夫理事長が照射スイッチを押すと、一同からは大きな拍手と歓声が沸き起こった。  
 日本のがん医療にとって、記念すべき瞬間だった。1分間ほどの照射でこの日の治療は無事終了。治療後の患者さんからは「何の痛みもなく、あっけなく終わってしまいました」と驚きの言葉が聞かれた。  
 「患者さんはもちろんですが、医療に携わる皆様にも、切らずに治療する陽子線治療の実力を、もっと知って頂きたいと考えております」  
 そう語るのは陽子線治療センターで広報を担当する櫻井祐美さんだ。  
 櫻井さんは全国で開催される陽子線市民公開講座では進行役に徹してきたが、『市民のためのがん治療の会』主催の講演会では、海外で夫のがん治療を支え、ともに闘ったご自身の体験を聞かせてくれた。  
 
突然のがん告知
の櫻井さんは建築家であり、研究者でもあった。東大建築学科の出身で、クラッシック音楽ホールの音響が専門だった。94年にウィーンへ渡り、ウィーン楽友協会大ホールの音響研究で修士号を取得した。  「私たちはウィーンで出会い、結婚しました。2001年にミュンヘンに移ってから、1か月半位の長期プロジェクトで徹夜が続いていたんですが、11月に入ってから不正な出血が続いて、医療機関を受診しました」  
 ドイツの総合病院の診断は上咽頭の腫瘍で、腺様嚢胞がん。難しいがんだった。幸せそのものだった二人を、突然のがん告知が襲った。  
 「夫が『こんなポンコツと結婚して、あなたは可哀想だった』と言うので、待合の廊下で泣きました。絶対に彼を救おうと思い、それから5年間に渡る闘病が始まったわけです」  
 櫻井さんは幼少期から喘息と鼻炎に悩まされ、ホルモン剤を長期使用していた。うがい時には出血も見受けられることがあり、結婚してからは食事と生活環境面に配慮して暮らしていたという。  
 放射線治療の提案を受け、櫻井さんご夫妻は両親と治療方針を相談した。治療をドイツで受けるか、日本で受けるかでも迷った。ちょうどその頃、ボストンから電話があり、アメリカの陽子線センターのドクターと国際電話で話をすることができた。知人や外国の医師たちが親身に心配してくれて、陽子線治療を紹介してくれたのだ。
 
ボストンでの陽子線治療
「説明を受けると、がんにピンポイントで照射できる。だから正常な組織に影響が少ないということでした」  
 説明してくれたリープシュ医師は、日本の国立がんセンターや筑波大学で陽子線治療を導入するときのアドバイザーを務めた方だ。世界的に見てもおそらく最高の医師である。ご夫妻はすぐに陽子線治療を選択することに決め、アメリカに渡った。  
 「私たちは外国人の患者ですから、MGH(マサチューセッツ総合病院)のなかの『国際患者センター』というところで受け入れて頂き、治療を開始しました」  
 カルテは事前にドイツから送られ、MRIとCTの検査をして固定具を作り、照射治療が始まった。6年前のことである。  
 ボストンの街はちょうどクリスマスの賑わい。陽子線治療は普段と変わらない生活ができるから、外来で治療し、ボストンフィルのクリスマスコンサートにも出かけた。  
 2002年2月には無事治療が終わり、その後は副作用もほとんどなく、櫻井さんは順調に生活していた。出血がなくなり、顔色も元に通り、完全に治るものと思っていた。けれども8月に中耳炎を発症し、残念なことに再発が確認されることになる。
 
QOLを重視した治療法を求めて
美さんはボストンとミュンヘンの医師に対応を相談する。放射線治療は除外。抗がん剤もこのがんには効かないだろうということで、手術を考える。ところが、この手術を担える外科医は世界に3人位ではないかという。櫻井さんご夫妻はその可能性を探り、世界でもトップクラスの外科医たちの診断を仰ぐ。  
 「けれども、手術による副作用としては左の聴力を失う。顔面麻痺が残る。完治も、100%の成功も、保証は難しいということでした。建築家で、専門は音楽ホールの音響。夫はクラシック音楽をこよなく愛しておりましたし、聴力を失いたくはない。顔面麻痺も避けたい。二人で話し合い、リスク対効果が見合わないということで、QOLを重視した治療を選択することにしました」  
 しかし、その後の治療は決定打にはならなかった。そこで、ほかの有効な治療法を模索し、愛知県がんセンター放射線治療部部長の不破信和先生(現・南東北がん陽子線治療センター長)の動注化学療法を知る。  
 「2005年の6月に受診しました。この治療法は、こめかみから抗がん剤を投与してがんに集中させ、同時に解毒する中和剤を流し込むものです。体に負担が少なく、高濃度の抗がん剤を与えられるので高い効果が期待でき、また、QOLを確保できるということで、私たちは挑戦を決意します」  
 櫻井さんは11月に入院し、治療を開始する。治療は効果があり、がんは小さくなって退院した。その後、ドイツから完全に帰国。愛知県がんセンターを拠点に、本人の希望で在宅で闘病し、通院しながら経過観察した。  
 しかし、2006年9月、櫻井さんは自宅で吐血。愛知県がんセンターに搬送したが、翌日、不帰の人となる。
 
闘病体験を振り返って思うこと
「誤解があると困るのですが、櫻井は亡くなる3日前まで、建築家として全力で仕事をすることができました。闘病の大半を自宅で過ごし、普段通りに暮らして、音楽を楽しみ、人間らしい豊かな生活を確保してがんと闘いました。  
 陽子線治療を受けなければ、多分もっと早くがんは進行し、再発していたのではないかと思っています。  また、5年間の間に素晴らしいお医者様や患者の皆様にお会いでき、感謝しています。8年間の結婚生活のうち、5年間が闘病でしたが、最後まで仲良く、幸せに過ごすことができました。結婚した夫には今も心から有難うと言いたいと思っています」  
 櫻井さんのケースを通して、国境を越えてがん医療に正面から向き合う医師たちの存在を知らされる。がんを治したいという目標は医師も患者も同じはずだ。献身的に医療に携わるたくさんの人たちや、患者同士の励ましによって闘病は支えられる。  
 「治療にあたっては、医療機関同士の連携の大切さを実感しました。がん闘病を通して感じたことは、MGHの国際患者センターのような役割、患者さんや家族の相談も受け入れられるような窓口があればいいな、ということです。南東北がん陽子線治療センターで少しでもそんな役割を担えたらと考えています」  
 自分自身の体験から得た思いである。
「がん医療の進歩とともに、がんは死に直結する時代ではなくなってきました。がんは小さいうちに見つけ、治療する。早期発見と早期治療で治る時代を迎えつつあります。けれども、ある程度進行してから見つかることがあるのも現実です。また、部位によっても、治療法の選択は重要になります。  
 例えば、頭頸部のがんは視力や聴力、味覚などに直接影響する場合が多く、外観や容姿を含めてどんな治療法を選択するか、その大切さは想像しやすいでしょう。  
 QOL、つまり生活の質、という言葉がありますが、私たち医師はいつも命の大切さとともに、人生とは何か、その人にとって幸せに生きるとはどういうことかといった問題にも直面し、悩むことになるのです」 渡邉一夫理事長が、ある講演でそんな話をされていたのを思い出す。
 
陽子線—がん治療の前進のために
の後、櫻井さんは、陽子線治療の現場で、医療コンシェルジュとして生きる道を選んだ。  
 医療コンシェルジュとは、医師と患者の間で治療が円滑に進むようなコミュニケーションの重要性から注目されている職種だ。患者の思いを汲み取り、患者の視点から安心で快適な医療サービスの提供を目指す。それは同時に医師たちが本来の医療行為に集中し、専念できるような環境を整えることにも繋がる。  
 がん治療の情報を集め、夫と医師の間で治療法に悩みながら、命と生活の質を守ろうとした姿は、文字通りひとりの医療コンシェルジュの姿であったに違いない。櫻井さんは勉強を進めるなかで、『市民のためのがん治療の会』の會田代表とも出会うことになる。
東北がん陽子線治療センターでの陽子線治療は、6年前のボストンからさらに進化を果たそうとしている。不破センター長が見据えるのは、未来の標準治療の確立だ。陽子線治療のポテンシャルを最大限に発揮し、がん治療の画期ともなるだろう。それはより多くの人の命を救い、高いQOLを維持することに貢献するに違いない。
 現在、櫻井さんは南東北がん陽子線治療センター『患者相談室』兼『広報・国際室』に勤務する。海外の医療事情やがん治療の現実を見つめ、コンシェルジュとしての理想を実現できるような医療サービスのあり方を模索する毎日だ。
 
がんに心を痛めるすべての皆さんの支えになれるように努めてまいります。
櫻 井 祐 美 さん
患者相談室 兼 広報・国際室 所属
(Patients Center / PR・Int. Administration)
患者相談室 兼 広報・国際室では、快適に陽子線治療を行っていただくために、
患者さんの視点に立ってご相談や悩みに対応いたします。 また、海外からの
患者さんの受け入れ窓口ともなっております。
 
會 田 昭一郎 さん
『市民のためのがん治療の会』代表

不破信和先生は、私たちの会を支えて下さる医師の一人。愛知県がんセンターで動注化学療法を確立された優秀な方です。ところが自分の地位を捨ててまで、郡山に来てしまった。そこまで天才・不破先生を突き動かした陽子線治療に、患者として大いに期待したい。
 
 
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