郷土の食文化と伝統の鮨を探る旅
 
 
 欧米や中国での鮨ブーム。それは日本の食文化が世界に認められたことを意味している。幾分誇らしい気もするのだが、どうやら世界的な鮪(マグロ)消費の加熱をももたらしているようだ。マグロの漁獲枠削減が議論されるなか、日本人の『食の志向』も少し見直すべき時期なのかもしれない。鮨の歴史を遡りながら、伝統の鮨とその美味さのルーツを探る旅に出てみた。
 
浪江町請戸川の鮭漁。漁師たちが地引き網を力を込めて引き上げると、大量の鮭が銀鱗を光らせる。
 
鮨の歴史
の歴史は古い。起源をたどればなれ鮨と呼ばれる究極の発酵食品である。近江のふな鮨がその原型に近いもので、米は食べずに発酵した魚などを食した。  
 酢飯(鮨飯)を使うようになったのが江戸時代中期の早鮨で、箱に入れて重しを乗せてつくる押し鮨の形である。これが現代に繋がる鮨の源流と言われている。  
 最初に握りを始めたのは江戸は両国の華屋与兵衛だ。小さなお握りのような酢飯を握り、酢でしめたコハダを乗せてワサビを効かせた。江戸前鮨の祖とされるが、時代は天保の頃である。江戸前握りの歴史はそれほど古いものではない。  
 当時、鮪(マグロ)は傷みやすさが災いし、あまり好まれなかったらしい。タネは酢でしめてから握るのが常だったから、マグロは変色してしまい、不向きだったのだ。醤油の漬けが考案されてからマグロの赤身も握られるようになったが、油の多いトロは醤油をはじいてしまうから論外であった。  
 その後、鮮魚の流通が可能になると、鮨は生鮨が主流となる。鮪が鮨の覇者となるには技術革新が必要だったわけだ。  
 こうした江戸前の鮨をめぐる歴史も興味深いが、今回は握りではない。郷土の鮨である。しかも塩引き鮭の鮨だ。  
 それは子どもの頃に食べた幻の味であった。その鮨の独特の美味さが忘れられず、後年調べてみたことがある。
 
請戸川(泉田川)はヤナ場の鮭漁で知られる。
10月中頃から11月半ば頃までがシーズン。
漁協では、明治41年から採卵ふ化放流を行い、
資源保護にも努めている。
 
郷土食としての塩引き鮨
台は浪江町。福島県の弓なりにせり出した海岸線のほぼ中央の町だ。町を東西に流れる請戸川(泉田川)は鮭が遡る川で、秋口からやな場がつくられ、鮭漁で賑わう。最盛期の11月には、新鮮な生鮭やイクラを売る売店も立ち並び、観光客が押し寄せる。  
 鮭の町の塩引き鮭の鮨。当然郷土の伝統食だと思い込んでいたのだが、調べてみても分からない。食文化や郷土食に詳しい人にあたってみても皆目見当がつかず、数年に渡り、折りに触れていろいろな人に訊ねていたのだが、その中に山形県米沢の鮨ではないかと言う人がいた。  
 浪江町は、かれいやひらめ、蟹の水揚げで賑わう漁港の町。鮭も生鮭やいくらを使う料理は多いが、保存がきく塩鮭となると山間の食文化ではないか、と言うのだ。言われてみればもっともである。
調べてみると、確かに米沢には塩引き鮨というものがあった。米沢藩は海から遠いため、鮮魚が手に入りにくいところから塩引き鮨は生まれたらしい。塩鮭は貴重な保存食でもあり、鮨にすると紅白になってめでたく、ハレの日の料理として鮨にして出された。一口大の押し鮨で、上品な味わいだ。今でも明治期の上杉伯爵ゆかりの料理店などで食することができる。  
 実際に店を訪ね口にしてみると、酢で締めた塩引きの味は似ている。酢飯との相性もよく、美味い。さらに調べてみると、米沢のものとほとんど同じ姿の塩鮭の鮨は会津田島や新潟でも郷土食として伝えられていることが分かった。奈良にも塩鮭の鮨を柿の葉で巻いたものがあり、谷崎潤一郎の好物だったらしい。
から離れた山間部では、そうした食し方が記録の中に散見される。しかし、記憶のなかのその鮨は、野菜も盛り付けたバラ鮨だった。海沿いの町の食卓に繋がる明確なルーツは分からない。どこかの山間部から嫁いだ女性が広めた故郷の味なのだろうか。少なくとも浪江町や周辺の町に厳密な意味でそうした郷土料理は見つからす、食の記憶をめぐる探索は手がかりをなくしたかに思えた。
 
  
塩鮭の鮨の出典がみつかる
 ところが数年後、探索は意外な答えにたどり着くことになる。浪江町の一人の主婦が、1969年発行の主婦向けの雑誌に紹介されていた料理を工夫し、会食の席で振舞っていたことが分かったのだ。  
 何のことはない。一瞬呆気にとられたが、実際にその雑誌の切り抜きが大事に残されており、見せていただくことができた。当時の食卓の様子がよく伝わってくる。回転鮨もなかった頃の話だ。食の情報も今ほど多くはなかった。文字をぎっしり詰め込んだその雑誌のページを切り抜きし、大切に保管し続けた日本の主婦の姿にも感心させられたのだった。
ろそろ年越しとなるが、新年には新巻き鮭が流通する。伝統食をベースに工夫を凝らした鮭鮨を再現し、懐しい昭和の味にあらためて舌鼓をうってみてはどうだろう。
 
  
(左上)は上杉伯爵の邸宅を利用した米沢の料亭。記念館も兼ねており、観光名所でもある。
(右上)はそこで出されている塩引き鮨。美しく上品な味。塩鮭もかつてはなかなか手に入らない貴重な食材だった。
(左)は上杉鷹山公。藩政改革で有名な為政者の範。
「かてもの」という飢饉に備える食物ガイドもまとめた。
写真は松岬(まつがさき)神社の銅像。
米沢は今、義の武将、直江兼続を描いたNHK大河
ドラマ『天地人』で注目を集めている。
 
   
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