先進医療を実施している医療機関の一覧から 悪性腫瘍に対する陽子線治療(固形がんに係るものに限る)

平成21年4月1日現在 第2項先進医療技術 88種類 644件 「悪性腫瘍に対する陽子線治療(固形がんに係るものに限る)」は5施設

|千葉県 国立がんセンター東病院| 兵庫県 兵庫県立粒子線医療センター| 静岡県 静岡県立静岡がんセンター|
|茨城県 筑波大学附属病院| 福島県 一般財団法人 脳神経疾患研究所 附属 南東北がん陽子線治療センター

陽子線治療で消えたステージ3の肺がん

 もしも陽子線治療がなかったら、どんなに優秀な外科医でも、命を救うことはできなかった。片方だけしかない肺にできた末期のがん。手術も不可能で「あと半年」と言われたがんは、陽子線治療で手品のように消えてしまった。
 南東北がん陽子線治療センター二例目の肺がん患者として、命に関わるがんを乗り越えたWさん。今では肺の調子も良く、気が向けば軽い農作業もこなしているという。
 自然環境に恵まれた田園のご自宅を訪ね、陽子線治療体験とその後の暮らしぶりをうかがってみることにした。
「あと半年」と告げられて
 ろそろテッポウユリが出荷のシーズンを迎える頃だ。Wさん(82歳)は庭先の納屋で端正に茎を伸ばしたユリの花を束ねては愛おしそうに笑う。
 水田が連なるのどかな風景の中、里山の美しい緑が背景を彩る。清冽な山清水が庭先に小さな池をつくり、数年前からWさんはそこで螢を育ててきた。自然環境の保護にも積極的な地域であり、螢の飼育は小学生たちの環境教育にも一役買っているという。
 家業の農業も、もう次の世代に任せているが、Wさんは気が向けば草むしりや簡単な農作業もこなす毎日だ。楽しみは奥さんと出かけるグラウンドゴルフ。食欲もあり、年齢よりも元気な毎日を送っている。知らない人が見れば、つい半年前に余命半年と告げられた老人だなどとは信じられないだろう。
 Wさんは片方の肺を8年前に手術で摘出し、今年の4月には右肺に見つかった肺がんの陽子線治療を受けた。高齢でもあり、手術も不可能と言われたがんは、治療後のPET検査で跡形もなく消えていた。南東北がん陽子線治療センターでの肺がん治療としては二例目だった。
 「しも陽子線治療がなかったとしたら、諦めるしかなかったでしょう」
 そう説明するのは息子さんでPET事業本部に勤務するA夫さんだ。
 A夫さんが医療関連の仕事をしていたのは幸いだった。PET検査の有効性はもちろんだが、陽子線治療がどのようなものか、主催する市民公開講座やカンファレンスでおおよその知識を得ていたからだ。高齢の父に代わり、A夫さんは診断の説明を聞き、最善の治療法を探した。
 「PET検査を受け、主治医で呼吸器科の宮元秀昭先生にご相談すると、外科手術は無理ということでした。このままではあと半年。父は右の肺を手術で無くしていましたし、治療法は陽子線以外にはありえない、ということだったんですね」
がんで右肺を摘出してから8年、左肺に見つかった新たな肺がん
 「さんは8年前に肺がんで右肺を摘出する手術を受けていた。
 それまでは大変な愛煙家で、山で桃の栽培や材木の仕事をしているときも煙草を離さなかったという。
 「肺がんの手術を受けてからは当然煙草はやめたけれど、夜寝ているときも煙草を吸っているような人でした。がんになるよ、といくら言っても聞かなくてね。ケンカばかりしていたんですが、とうとう本当にがんになってしまいました」とWさんの奥さんは言う。
 煙草を続けていても、特に体に異常を感じるわけではなかった。ところがある日、Wさんは自分の痰に血が混じっているのに気づいた。喉のポリープかもしれないと近くの診療所を訪ねると、ここでは分からないから、と総合南東北病院へ行くように勧められた。
 「病院で検査をすると肺がんだということが分かり、そのまま手術をすることになりました。転移もなくて、右の肺を摘出すれば命は助かるということで、外科手術を受けて、2カ月ほど入院です。手術は無事成功して、結果も良かったんです」
 当時は手術を受けられる体力もあり、回復も早かった。その後もWさんは普段の生活に支障なく暮らしてきたが、昨年になって息切れがひどくなっているのに気づいた。それまでは苦もなく登れた裏山への坂道の途中で、何度か休まないと息が苦しい。
 気になってレントゲン検査を受けたが異常は見られないという。しかし、症状がおかしいということで、CT検査を受けた。
 「そしたら斑点が出たんで、PETで画像診断をお願いすると、結果は肺がん。ステージは3から4の間ということでした」
 肺がんは予想以上に進んでいた。主治医の宮元先生は肺がんの権威であり、陽子線治療の知識と理解も深い。
 「診断の結果は手術もできないし、リニアックの放射線治療も難しい症例だということでした。片肺をとっていたし、普通の放射線をかけるとがんが散らばってしまう可能性があり、リスクが大きい。だから、放射線治療もできれば避けたい。結論としては陽子線治療しかなかったのですね。肺がんでも陽子線治療が効きにくいがんもあるらしいのですが、父の場合はよく効くものだということでした」
 「ころが、南東北がん陽子線治療センターはまだ稼働準備の段階で治療は始まっていなかった。10月のオープンは決まっていたが、最初は前立腺がんから始まり、肺がんは年が明けて4月から始まる予定だった。それまで7カ月間待たなければならない。進行を考えると、ぎりぎり間に合うかどうかというタイミングである。
 「宮元先生は陽子線治療センターの不破先生といろいろな可能性を検討して下さったようです。兵庫県の粒子線医療センターで治療を受けるという選択肢も候補に挙がりました。不破先生からも受け入れてくれるよう要請しましょうというお話をいただいたのですが、やはり兵庫は遠いですよ。80歳を超えているから誰かが付き添わなければならないし、ホテルに宿泊して治療するとしても2カ月です。その間たった一人では時間を持て余してしまうだろうし、心配でした。そこで、宮元先生や不破先生とも相談し、陽子線治療センターが肺がん治療を始めるまで待とうという決断をしたのです。やはり家族がいつも近くにいる環境で治療させたいという気持ちがあったんですね。がんの進行は温熱治療で抑えてみよう、ということになり、お願いすることにしました」
 温熱治療はがんが高温に弱いという性質を利用した治療法だ。免疫療法とともに第4の治療法とも呼ばれるがん治療で、QOLを維持した治療が可能であり、がんの進行を抑えるために用いられることも多いという。
 Wさんは照沼裕先生による合計3回の温熱治療を受け、南東北がん陽子線治療センターで肺がん治療が始まるのを待つことになった。

陽子線治療前後のPET-CT画像の比較
陽子線治療前(1/27) /矢印で示した赤い部分ががん

 
陽子線治療前(6/4) /がんが消失しているのが分かる

体も気持ちもとても楽だった陽子線治療
 「ころで、Wさんは9月のPET検査で、肺がんのほかに大腸にも悪性のポリープが見つかっていた。そこで陽子線治療を待ちながら、Wさんは1月に内視鏡手術でポリープを切除し、同時に検査で見つかった胆石をとる手術を受けている。それらが3月になって完治した頃、幸運なことに南東北がん陽子線治療センターの肺がん治療が予定より1カ月前倒しで始まることになった。先進医療施設としての認可取得が早まったからである。こうしてWさんはセンターで二例目の肺がん患者として陽子線治療を受けることになる。
 陽子線治療は準備に1カ月ほどの期間が必要とされる。
 1月27日、実際の治療を前に診断を確定させるためのPET-CT検査を受けた。2日後の説明を聞くと、肺がんのほかにリンパ節転移がひとつ見つかっていた。PET画像を見ると、腫瘍を示す真っ赤な部分が2つ、はっきりと画面に映っている
 息子のA夫さんは一瞬目を疑ったが、不破先生からは「転移は肺がんと一直線上にあるので、一度の照射で同時に治療できる」という説明を受け、少し安堵した。それから固定具の作成が行われ、2月27日に陽子線の具体的な治療方針を聞く。3月2日に照射治療の予行演習が行われ、30日に実際の治療が始まった。
 治療開始3日目に陽子線が正確にがんに当たっているかを調べるために確認のためのPET-CT撮影をした。陽子線が当たった部分は、PETで撮影すると画像で確認できるのだ。間違いなく当たっていることが確認され、治療は当初の計画通り30日間続けられた。
 Wさんは土、日、祝祭日の休みを除いて毎日通院を続けた。午後1時の治療予約に合わせ、家族が交代で車を運転してセンターへ通う。治療は準備を含めて30分ほどで、実際の照射は2~3分程度。
 行ってくると言って出かけると、3時くらいには帰って来れる。治療は痛くも痒くもない。それどころか、これで本当に治療しているのかと思うくらい。横に寝そべって居眠りをしに通っていたようなもんだね、とWさんは笑う。手術とは比べようもないほど体も気持ちも楽だった。
 月10日、治療は計画通りに終了した。合計30回の照射が行われ、抗がん剤などの処方もなく、すべて通院治療で済んだ。
 「あまり高齢で入院すると、ぼけてしまうということもあるから、入院しないで治療できるならその方がいいというアドバイスもあって、一度も入院せずに治療しました。陽子線はがん治療のイメージを変えると言われてきましたが、実際に父は治療中も普段と同じように毎日暮らしていました。高齢者にとっては体に負担がない治療というだけでなく、適度に体を動かしながら、毎日の環境を変えずに治療できるというのも大きなメリットだと実感しました。入院すれば睡眠薬を飲まないと眠れなかったかもしれませんが、体を動かしていれば夜も熟睡できるから、必要もありませんでしたね」
治療後の検査できれいに消えていた肺がんとリンパ節転移
 子線照射の効果は治療終了から2~3カ月の間に現れていく。6月4日にPET検査を受けると、がんは完全に消えていた。
 「PET画像を示しながら不破先生は、がんは無くなっているでしょう、と当然のことのように説明されましたが、しばらくは信じられませんでした。少しは小さなしみのようなものが残っているのかと思っていましたから。それがまったく消えていたのです。切らずに治ると言われる陽子線治療ですが、目の当たりにすると本当に手品か奇跡のようでした」
 いくつかの幸運が重なったことは否めない。手術も通常のリニアックも不可能と言われ、一度は覚悟もした肺がん。南東北病院グループが導入しなければ、陽子線治療に巡り合うこともなかったかもしれない。また、病院に宮元先生や不破先生、照沼先生たちの緊密な連携が得られる医療環境が整っていたことも大きな力になった。PETの画像診断を含め、がん克服を理念に掲げる南東北病院グループの総合力が発揮された症例とも言えるだろう。
 月に入っても蒸し暑さが続く毎日だが、Wさんは元気に暮らしているという。裏山へ通じる坂道も、陽子線治療を受けてからは息切れもせず一気に登れる。高齢で血圧が高いから常備薬は欠かせないが、抗がん剤など、特別ながん治療のための薬の服用もない。
 半年ぐらいしたらまたPET検査を受ける予定だという。大腸がんやリンパ節転移も一度のスクリーニングでチェックできるから、有り難い検査だ。父にはこれからも半年か1年に一度、定期的なPET検査を受けさせたい、とA夫さんは言う。
 日本国内で陽子線治療を受けられる施設は限られている。それだけに、がん治療を飛躍的に前進させる可能性を持つ治療法でありながら、情報量も少なく、最先端のがん治療の恩恵に触れることができない人たちもいる。
 日本人の死因第一位とされるがん。今後の陽子線治療の普及とともに、日本のがん医療の前進のためにも、南東北がん陽子線治療センターが担う役割は大きい。

陽子線治療のための回転ガントリー照射室

南東北がん陽子線治療センターには照射角度を自由に調整できる回転ガントリー照射室が2室と

水平照射室が1室、合計3室の治療室がある。

宮元秀昭先生

Dr. Hideaki Miyamoto

一般財団法人脳神経疾患研究所 附属 呼吸器疾患研究所所長 兼 呼吸器センター長

前順天堂大学医学部助教授

■専門/呼吸器外科

■診療/東京クリニック・総合南東北病院

肺癌セカンドオピニオン・進行肺癌手術治療・早期肺癌陽子線治療、女性呼吸器疾患研究が専門

不破信和先生

Dr. Nobukazu Fuwa

一般財団法人脳神経疾患研究所 附属南東北がん陽子線治療センター長

愛知県がんセンター中央病院 副院長 放射線治療部長 兼務 等を歴任

■専門/放射線治療

■診療/東京クリニック・南東北がん陽子線治療センター

日本放射線腫瘍学会 評議員・日本頭頸部癌学会 評議員 他

照沼裕先生

Dr. Hiroshi Terunuma

東京クリニック丸の内オアゾmc 副院長

元山梨医科大学講師・元マイアミ大学助教授・日本バイオセラピー研究所所長

東北大学医学博士

■専門/温熱療法科

■診療/東京クリニック丸の内オアゾmc・総合南東北病院

免疫療法・温熱療法の第一人者

2008年10月17日、南東北がん陽子線治療センターで渡邉一夫理事長が陽子線照射スイッチを押し、第1号の患者さんへの治療が行われた

 南東北がん陽子線治療センターは2008年10月1日にオープン、同月17日から治療が開始されました。
 陽子線は体内の狙った深さでエネルギーを最大に発揮するようコントロールできるため、正常細胞にダメージを与えず、がん細胞だけを狙い撃つことができるという特徴があります。そのため、メスを入れないがん治療が可能となり、高齢者にやさしく、高いQOLを確保できる治療法であり、普段通りに仕事を続けながら外来通院で治療することも可能です。
 また、集中度が極めて高いことから、従来の放射線照射や手術では困難な疾患にも、すぐれた効果を発揮します。
 南東北がん陽子線治療センターでは、隣接する総合南東北病院や南東北医療クリニックなどとも連携して総合的な治療を提供しています。