「雪降ってる」「ほんとだ。でもこれなら積もらないだろうね」納屋の方から、そんな会話が聞こえてくる。阿武隈山系は比較的温暖な気候で、15センチも雪が積もれば地元の人にとっても大雪のたぐい。思いがけない初雪も、土に触れた途端にとけてしまう。
 『ななくさ農園』を営む関さん夫妻はともに農水省出身。夫の元弘さんが官僚時代に人事交流で勤務した旧東和町に土地を借り、ともに農家になった。
 農園を訪ねたのは12月の半ば。冬の畑には小麦と大麦が列をなして育つ。20年近く放置され、荒れていた桑畑に重機を入れ、再生した畑だ。
 「遊休桑園を開墾した畑は土が不安なので、必ず麦をつくっています」と元弘さん。
 土も良くなるし、収穫した麦はうどんに加工したり、手作りのおいしいパウンドケーキやクッキーにして愉しめる。
 「定住、営農して、食っていけるか、よく聞かれますが、農業だけでは厳しいでしょうね。土作りも含めてすぐに成果が出るわけではなく、長い目で見ていくべきでしょう。
 でも、私たちは農業一本では考えていないんです。それだけでは面白くないから、ほかのこともやる。自給自足の延長としての農業です。冬場の農閑期には造り酒屋の杜氏として働いたり、来年は免許をとって地ビール(発泡酒)づくりにも挑戦する予定。地元の農産物を使った、超小規模醸造所です」
 日本の耕地面積の約4割を占める中山間地域では、高齢化、過疎化も進む。平場とは違って生産効率も悪いが、見方を変えれば何でも育つ生態系の豊かさがある。
 「単一品種に特化しない、風土に根ざした多品種少量生産ですね。自給自足をベースとした家族農業の方が小回りもきく。中山間地域の農業はその方が合理的な気がします」
 大規模化の方向性とは違った山間部の農業の姿。地域に根ざしながら、二人はそんな農業の可能性を追求する。

「ななくさ農園」

 福島県二本松市(旧東和町)で関元弘さん、奈央子さん夫妻が営む農園。地元農家の協力で、耕作放棄された桑園を畑に再生した。所在地の行政区が七区であることから、地域の一員でありたいと「ななくさ(七区さ)農園」と命名。春の七草、秋の七草が畑で見つけられるような、自然あふれる農園にしたいという願いも込めた。地域の子供たちを対象にした英語教室も営む。
 約2反歩(20a)の田んぼと1町歩(1ha)の畑では、米、キュウリ、インゲンのほか、小麦や大豆、ハーブなどを栽培。08年には県からJAS有機の認定を受けた。消費者との交流を深めるため、田植えや稲刈り、麦の種播き、麦踏みなどを体験イベントとして企画することも。関さん夫妻は、こうした体験を通して「食を見つめ直し、農家と消費者が価値観を共有できるようにしていきたい」と言う。

この地に根ざした農と暮らしを営み、百姓として百の可能性を探る。

有機栽培に加えて自然農となれば、まだまだ特殊な農法であり、実践する人もどこか風変わりな人物。そう思い込んでいたが、関さん夫妻にお会いするとそんな印象はがらりと変わる。土まみれになりながら地域のなかで農業に取り組む姿は、親しみやすい地元農家の姿と変わらない。当然だが農政にも詳しいお二人に、山間部の農業の可能性を聞いた。
 JAS認証を受けた田んぼは何もしない自然農。
 「米ぬかをまいたり、くず大豆をまいたりして草が出ないようにしますが、顕著な効果が現れるようにするには手でとるしかない。地上戦です」
 関元弘さんは楽しそうにそう話す。
 旧東和町に定住を決めたのは、「ご縁があったから」。元弘さんは10年ほど前に旧東和町役場で2年間働いたことがある。農水省には人事交流という制度があり、若手の官僚が地方の市や町の農政職員と交換して勤務するのだ。
 元弘さんは初めて赴任して来た時、「傾斜地の小さな田んぼや畑を目にして、こうした地域では大規模化や機械化、経営効率の追求は難しく、地域の将来を心配した」という。大規模農家育成という農政では、中山間地域は置き去りにされてしまうかもしれない。
 しかし、現場を歩き、露地野菜、リンゴ、畜産や、里山を活用した原木椎茸栽培など、この土地に合った農業に取り組むたくさんの元気な農家を知り、感銘を受けた。元弘さんはもともと自分でも人と環境に優しい農業を実践してみたいという思いを抱いていたが、地元の農家との交流のなかで自分がやりたい農業の具体的なイメージも次第に固まっていったという。
 その後、元弘さんは旧東和町役場での勤務が終わり農水省に戻ったが、2006年には有機、自然農の実践を目指して今の場所に移住する。いわゆる定住・新規就農者である。農水省の同期で妻の奈央子さんも一緒だ。
 以来、集落の行事や消防団、共同作業にも積極的に参加し、地域とつながりながら、自分のやりたい農業を追求している。
〝結い(ゆい)〟のような人のつながりが残る山あいの土地である。地域の交流のなかでお金ではなくてものが動く社会だ。手伝いのお礼にと、採れたての野菜や椎茸が届く。
 「たまにスーパーにも行き、お肉を買ったりはしますが、いただきものばかりで、基本的に買い物しないんです」、と妻の奈央子さんは言う。
 関奈央子さんは農水省時代、イギリスに留学した経験がある。
 留学中は大学での勉強のほかに、農家の手伝いをしながら宿泊させてもらう〝ウーフ(WWOOF)〟という仕組みを利用していろいろな有機農家を訪ね歩いた。
 日本と比較した農業の様子をうかがうと、「例えば有機圃場の割合は、イギリスで4%以上。一番大きいオーストリアでは、およそ10%。政府が有機に転換する農家に直接補助金を出すことで急速に拡大している」という。しかし、日本ではどうだろう。有機圃場は全農地の約0・18%に過ぎない。政府の後押しの仕方で農業の姿はずいぶんと様変わりする。
 「出口のないところには誰も飛び込まないですから」という元弘さんの言葉が印象に残る。
スローフードやスローライフが時代のトレンドとなるなか、本物の農家になり、農業を楽しむ関さん夫妻の姿は魅力的だ。しかし、家庭菜園のレベルではない。農政では生産不利地とされる里山の農業。その将来にどんなヴィジョンを描いているのだろうか。
 「古来、日本は生態系が豊かで、中山間地域では昔から多品種少量生産の自給自足に近い農業が営まれてきました。考えてみると、江戸時代なら米や野菜をつくり、5反歩も農地があれば食っていけたんですね。そう考えると逆にいろいろなことができる。百姓は百のことができるから百姓です。
 農業以外のことも含めてやっていくのもいいし、農業一本でやるのもいい。今の時期なら冬野菜も出荷できます。いろいろな生産者がいて、環境に優しい農業があり、安心できる作物がある。そんな魅力ある地域を担う一員としてやっていくつもりです」
就農して今年は5年目。栽培方法を確立させながら、独自の販売ルートも開拓していく予定だ。しかし、地産地消という言葉があるように、生産者と消費者の顔が見える関係を大切にし、互いに価値観を共有することが、今後の農業にとっても大事だと関さん夫妻は考える。
 「これからは環境にやさしい昔の農村の生活も学び、先人の知恵を継承していくこと。里山の炭焼きも学び、できればエネルギーもこの地域でまかなえるようなライフスタイルを確立していきたいと思っています」
関元弘さんは東京都出身。技官として農林水産省に入省。国の「食品安全委員会」の設立にもかかわった。新潟県出身で農林水産省同期の奈央子さんとは2002年に結婚。関奈央子さんは東大卒業後事務官として国際貿易や環境政策などを担当。イギリス・ケンブリッジ大学でマスターを取得した。
2006年、二人は福島県旧東和町(現二本松市)へ移住して「ななくさ農園」を開園。以来、有機・自然農による循環型農業に取り組む。

「ななくさ農園」ではきゅうり、いんげんなどの有機野菜と小麦(ゆきちから)が出荷の中心。小麦はうどんとして加工し、「道の駅 ふくしま東和」などで販売する。
生命力溢れる農園では自然農の米やトマトやミニトマト、イチゴ、大豆などのほか、多様な野菜を栽培。ニワトリ、ヤギ、ミツバチを飼育し、干し柿もつくる。畑からとれる野菜は「豆と切干大根のサラダ」など調理にも工夫し、食卓を彩る。

地域コミュニティーの再生、農地の再生、山林の再生(水の再生)を目指して -食と文化の物語り-

道の駅ふくしま東和

道の駅ふくしま東和

 人や環境に優しい地域ブランド「東和げんき野菜」や、地域産品・加工品の販売、桑の葉の健康効果(血糖値の改善効果など)に注目した加工品など、地場にこだわった品揃えが特色。
 施設運営主体の「NPO法人ゆうきの里東和 ふるさとづくり協議会」は、環境への志向性も高く、UIターンや新規就農支援にも力を入れ、すでに10組ほどが定住し、農業に取り組んでいる。
 住民主体の地域活性化への取り組みは「耕作放棄地発生防止・解消活動」や「過疎地域活性化優良」事例としても表彰され、行政などの視察も絶えない。

NPO法人ゆうきの里東和
ふるさとづくり協議会
代表理事 大 野 達 弘 さん

 野菜や椎茸の原木栽培など、農業を営むとともにNPO法人代表として地域農業の活性化に奔走する。法人構成員の協力を得ながら、新規就農希望者の支援と、移住者が地域に溶け込むための橋渡しを行う。
 福島県農業賞受賞。UIターンを支援する県の「福島ふるさと暮らし案内人」。2010年には「農業10傑」にも選ばれた。
 


NPO法人ゆうきの里東和
ふるさとづくり協議会
副理事長の一人 武 藤 一 夫 さん

 本業はなめこ農家。自宅に開いた農家レストラン「東和季の子工房」は、息子さんで農業後継者の本格派シェフ(写真下)が考案した自家野菜やなめこを使ったオリジナルメニューが人気。
 天然酵母パンも奥さんの手作りで、いわゆる「6次産業」の実践など、農業の多様な可能性を追求する。
  

心に残るイギリスの小さな菜園

 関奈央子さんのイギリス留学時の研究テーマは〝CSA(Community Supported Agriculture)〟、つまり〝コミュニティが支える農業〟。そもそもは日本で30年ほど前に始まった産直の考え方が世界に広まり、発展したものだそうです。
 面白いのは、農業の大規模化が進み、家族経営の小農が姿を消すかと思われたアメリカでCSAの農場がどんどん増えていること。イギリスでもコミュニティー再生にひと役買っているそうです。
 奈央子さんはイギリスでの勉強の合間に、有機農家を訪ね歩き、実際の暮らしぶりを体験しました。
 「心に残っているのは、両親と子供二人が、小さな菜園で自給的に野菜をつくり、ファームステイを行っている農家でした。
 放し飼いのニワトリ、鮮やかにペイントされたコンポストトイレ、庭のオブジェなど、遊び心もいっぱい。
 かぼちゃのスープやラタトゥイユ(夏野菜の煮込み)、エルダーフラワー(西洋ニワトコ)からつくるコーディアル(ほんのり甘いハーブ飲料)などを、家族で作って楽しむ食事。
 理想的なライフスタイルのように思えますが、不便なことも多い生活です。農業の楽しさや大変さ、彼らが選んだ生き方などについて話を聞き、考えさせられました」
 奈央子さんが目指す農業のキーワードのひとつ、それは、英語でサステイナブル(sustainable)という言葉。〝ずっと続けていける〟という意味です。
 「サステイナブルな農業や生活はどのようなものなのか、調べたり考えたり、実践している人を訪れたりするうちに、自分でもやってみたい、という気持ちになっていきました。
 私は、農業と英語を組み合わせ、訪れた人や子供たちが農業体験をしながら英語に触れられる農園にしたいと思います。
 今後は、農業・エコロジー・食育などをテーマとした英語を伝えていきたいと思っています」
 英語教室では、〝畑で英語〟〝エコキッズの英会話〟などのクラスを開いていくそうです。