医療の質と新しい医療

私が医療ジャーナリストとして一貫して取り組んできたのは医療の質。言い換えれば治す医療です。あるいは状況を改善する有効な医療。それは新しい手術法であったり、機械を使うことであったりするわけですが、これまでできなかった新しい医療がきちんと評価されることこそ必要だと考えます。
当然のように聞こえるかもしれませんが、実は日本はなかなかそうなってこなかった。患者さんの訴えも聞かずに薬を出すだけ、といった医療がずっとはびこっていた。コレステロールでも血圧にしても、環境、条件が変われば薬は必要ないときもある。しかし、必要あるかないかもチェックしていないじゃないか。そんなのが医療か、と。
陽子線治療も絶対ではない。だけど、一般的にがん治療では外科手術が時代遅れになりつつあるのは事実でしょう。もちろん外科の存在意義がなくなるということではないのですが、放射線医療が外科に取って変わりつつある。そして日本は放射線医療の導入が遅れています。陽子線は深部にばっとエネルギーを集中できる。通常の放射線だと、副作用があり、限界がある。その限界をクリアできるということでメリットがあるわけです。
ただ、より精度を高めることが次の課題になる。技術というのはそういうものです。課題が明らかになってくる。南東北がん陽子線治療センターではボーラスやコリメータ(がんの形状に合わせたビーム照射や到達距離の調整を行うこと)に加えて新たに呼吸同期法を導入して制御し、がん以外の正常組織への影響を最小限に抑える。呼吸器、頭頸部など難易度の高いがん治療でも成果を出しつつある。渡邉一夫理事長の判断は大したものですよ。最新鋭のIMRT(最新リニアック)もあるし、新百合ヶ丘総合病院にはサイバーナイフ(定位放射線治療装置)の導入も予定している。
渡邉理事長の盟友で脳神経外科医の福島孝徳先生に私が初めてお会いしたのは三井記念病院時代。若き30代の脳外科部長でした。素晴らしい手術で驚いた。理事長と気が合ったのは、「治してなんぼ」という共通の価値観があったんだと思う。二人の交流が始まるのは理事長が秋田脳研に勤務していた頃。脳研には脳動脈瘤の手術でともて上手な先生がいた。福島先生もその先生の技術を学びに行って二人は出会った。
陽子線治療センター長の不破信和先生も有名な放射線科医ですよ。以前、週刊朝日の連載をもとに『このがん、この病院』(1990年)という本をまとめたとき、実力ナンバーワン医師を選びましたが、放射線科は不破先生。愛知県がんセンターで温熱療法との併用治療を研究していました。それに目をつけてひっぱってくる渡邉理事長もすごい。
今回の震災と原発事故は本当に残念な事態ですが、福島に住む皆さんの不安を払しょくして健康を守るためにも、放射線医療の最前線を担う南東北グループには実行力を発揮していただきたい。発揮できるはずだと思っています。

田辺功氏は朝日新聞の医療取材を通して南東北病院グループ 渡邉一夫理事長(写真右)や脳神経外科医 福島孝徳医師(写真左)と出会った。
福島孝徳医師とは「40才からの頭の健康診断 脳ドック―人間ドックだけでは足りない」を共に執筆。さまざまな脳の病気の解説とともに、MR検査や最新の治療法を紹介。生活習慣の見直しや、早期発見のための脳ドック受診の重要性を訴えている。

医療ジャーナリストとしての出発

新聞社で医療記事を書くのは、やりにくい部分もありました。私が一貫して取り組んできたのは、いい技術、いいお医者さんを世の中に広げていくことです。しかし、昔の新聞はたたくことはしても褒めることはしなかった。この病院のこの治療法が素晴らしいということはなかなか書きにくいわけです。なぜかというと、病院の宣伝ということになる。しかし患者の立場からすれば、新たな治療法や上手な医師を知ることができなければ救われない。
なぜそう考えるようになったか。それは取材を通して医療の格差と日本の医療の現実を直接肌で知ったからです。
朝日新聞に入社して、初任地は岡山の支局でした。警察回りもしたし、事件、事故報道もした。しかし、朝日の同期では唯一の理系記者であり、岡山赴任から3カ月後に朝日新聞の全国版に初めて書いた記事は医療に関するものでした。
685グラムの未熟児が国立岡山病院で誕生し、無事退院した。その当時の日本記録です。それをスクープした。今では400グラム台まで進んでいますが、低体重になると失明や虚弱などの問題が起きてくるので小さな子供を育てたという競争はもう止んでいるけど、その当時はまだあった。
そこで気づいたのは医療には差があるということ。病院によっても、都道府県によっても、医師によっても。これは厳然たる事実だということです。医療は決して均一ではない。それが私の医療ジャーナリストとしての出発点です。
その未熟児の主治医は山内逸郎という小児科の権威でした。後に話題になった五つ子の顧問医として知られますが、当時は国立岡山病院の小児科部長でした。
岡山県は当時未熟児医療のメッカで、岡山の小児科は新生児死亡率をはじめとする三つの指標で三冠。全国でトップの成績でした。
山内先生には親しくして頂き、よく遊びに行きました。元山陽新聞記者で医事評論家、水野肇氏も山内先生のもとで医療の手ほどきを受けています。私もいい記事を書きたいと思うようになっていきました。
記録的なものだと新聞には載りやすい。外科手術でも一番小さな子が無事育っている、そういうものは載りやすいんですね。高齢者でも手術ができたとか、小さい子でもできたとか、そんな理屈をつけながら書くしかなかった。でもその背景には、この先生は上手だよということがあるわけです。
 

医療への評価とランキング本の誕生

私が朝日新聞で最初にシリーズとして書いたのは心臓です。1977年。『心臓病―ここまで治せる』というシリーズでした。
それは最初の本になりましたが、そのなかには全国の病院の手術数の概略を示しました。手術数の指標です。なぜ手術数を重視したかと言えば、アメリカでは1970年代の終わりには、弁膜症やバイパスや心臓手術チームは年間50例手術をしないと技術が保てないと言われていて、そういう基準からすると、手術の集積の度合いが必要なんです。だから、ある程度手術数は「いい病院」というランキングに反映すると考えてもいい。だいたいこれくらいはないと、ということは確かです。
その後、こうした病院評価を本としてまとめられないか、という相談を出版局から受けました。だけど、そのときはやめたほうがいいでしょうと言いました。正確なデータを厚労省や病院が出さない。ひとの評価しかない状況でした。そこで、お医者さんにアンケートして自分が病気になったらだれに頼むかをまとめる。それが最初のいい医者を知らしめる企画のはしりです。
次にいろいろと工夫して手術数のデータを厚労省の地域機関から出してもらってまとめていった。それが『手術数でわかるいい病院』。それがシリーズ化し、ランキング本がブームになっていくわけです。
 

がん医療への評価とがんセンターの役割

がんに関する病院評価としての成功率や生存率は正しいようで解釈は難しい。軽い患者がいっぱいいれば上がるわけだし、逆に難しい症例なら下がる。地域によっては3期や4期の患者さんが多いところもあって、治癒率だけで単純には比較できません。
免疫細胞療法だと、末期の方が受診されるケースが多いということもあり、効果が大きくは現れない。当たり前ですよ。だけど、仮に15%の患者さんで延命効果があったとすれば、有効性があるとも言える。これがまったく早期のがんなら80%の治癒率になるかもしれない。医療についての評価は難しいところがありますね。
がん医療では、がん専門病院は時代遅れです。循環器の医者もいない。血管の悪い患者はほかの医療機関に頼む。そんなのおかしいですよね。
高齢者が増えてくるとダブル、トリプルで病気を持つ人が増えます。ところがそれに対応できない。各地のがんセンターではおそらく透析患者のがん治療はできないと思います。それは透析の機械がないから。透析をしている肺がんの患者は受け入れられない。逆に受け入れたほうの病院は大変ですよね。そういう意味では総合病院のなかのがんセンターでなければ、治すためのがん治療は出来ない。分かりきったことですよ。
アメリカのがんセンターは隣に総合病院を持っていたり、必要な循環器の医師も雇って総合的な治療ができるようにしている。日本はそうではない。
日本全体が医療の質、患者を助けることを目標に置いていないのではないか、と疑いたくなります。そんなふうに私たちは医療界の無駄なところをしつこく非難している。煙たく思われることも多い。だけどそれがわれわれの役割であり、仕事とも思っているんです。
 

南東北グループのスケールメリット

総合南東北病院は創立から30年ですか。外科も消化器科も呼吸器科も循環器科も小児科も心臓血管外科も充実し、センター方式を取り入れて連携も柔軟。診療科も数えきれない総合病院です。グループの規模が大きくなれば、人材も増やせるし、新しい機械も導入できる。医療技術の共有化も進む。来年の新百合ヶ丘病院の誕生、楽しみです。グループが成長すれば、スケールメリットが生まれます。
新しい医療技術、例えば腹腔鏡手術も最初はできる人はいない。『先生、私のおなかを切らないで―100年ぶりの手術革命・腹腔鏡手術』という本にも書きましたが、この技術も勉強に行かないと技術は学べない。だけど、普通の病院だと学びにいく余裕がない。もっと言えば、3、4日研修を受けに行ったからといって簡単に習得できるものでもないんですね。
しかし、同じグループで腹腔鏡ができる先生がいれば、若い医師も新しい技術を習得できます。技術や機械はそうやって広がります。同じグループならできる。技術の普及は早くなり、病院全体のポテンシャルも高まる。ほかの医療機関では難しいいろいろな最新治療や、早期肺がんを一回の陽子線照射で治すような「ここでしか受けられない医療」には、海外からもどんどん患者さんがやってくるでしょう。南東北グループの実力には今後も注目していきたいところです。