幕末会津の復興と福島の未来

『八重の桜』と会津の群像に触れて

幕末史のひとつの中心をかたちづくる会津藩。戊辰戦争後、賊軍としての汚名を受けながらも、苦難を 乗り越えしっかりと生きぬいた人々がいた。そのなかの一人にNHK大河ドラマで描かれる山本八重(八 重子)がいる。八重は会津戦争では若くして籠城戦に参加し、男装して薩長軍との砲撃戦にも加わった。 落城後は京都で新島襄と出会いプロテスタントの洗礼を受ける。英語や新しい知識を求めて生き、夫・ 新島襄とともに同志社大学、同志社女子大学を創立した。そんな八重が生きた時代、そして会津出身 者たちのさまざまな群像に触れながら、福島再生への視点をお話しいただいた。

 

震災・原発事故後の福島と日本

これまでのひとつの時代が震災を契機に終わり、これから新しい時代が始まるというような見方もささやかれています。「福島の復興なくして日本の再生なし」という政府の見解は心強いのですが、一方ではさほど関心のない人も多いのが現実です。福島から九州などを実感できないのと同じように、福島を他人事のように思う人もたくさんいる。
 
誰かが黒部ダムの観光に行ったとき、バスのなかでたまたま福島から来たと言ったら、とっさに降ろされたという話がありますが、陸前高田の松の木を大文字の送り火で燃やすのを拒否されたとか、川俣町の花火はダメだと言われたりするのを聞くと、何かが変わるという期待よりも、何か一向にそんな感じもなく、今までの日本であり、被害を受けた人だけが困難に陥っていくということになりはしないか。むしろ私はそっちのほうを気にしています。
 
結局、文明は変わらないのではないか。これが東京あたりまで大被害が及んでいれば当然問題になる。しかし福島県にとどまっているうちは、忘れられていく雰囲気を感じますね。
 
復興のきざしはまだ見えない。原発事故という非常に大きな問題が福島にはあるにしても何か見えない感じがする。
 
除染は大事ですよ。しかし、長いスパンがかかります。だったら、福島に農学系の学部や研究機関でもつくって、土壌改良も含め、長期ヴィジョンのもとに全国から学者を集めるようにしたらどうか。そうすれば後継者も育つし、福島県の振興にもなるんで、そういう要求をすべきですね。そういう声が大事です。
 
岩手県だと5年間かけて壊れた漁場、防波堤をすべて復旧する。そのためにお金を国に要求している。明確なんですね。福島がどんどん遅れていくのが残念です。
 
福島県にはどうも不穏の影がある。会津藩以来、そういう感じを持ちますよ。
 
 
 
会津藩の人たちは下北半島の斗南藩に流されて、3年くらいでさらに放り出される。青森にも住めないし、故郷の会津に戻っても家も仕事もない。全国にばらばらになる。それと同じような運命を20キロ圏内の人たちもたどる可能性がありはしないか。そう思うわけですね。
 
原発事故の被害者にはこれから十分ではないが賠償金が出る。だけどそれだけで復興につながるわけではない。だから特区としていろんな税金や金融面での優遇、働く場所をつくるとか、そういうことを考えていく必要がある。なるべく早く着手すべきではないかと思ってきました。
会津藩の場合は各個人が頑張るしかなかった。国の保護はなかった。没落していった人も多い。成功したのは子供たちの世代であり、相当時間が経ってやっと会津の名前を高めていく。
そのなかでキーパーソンとして大河ドラマ『八重の桜』(NHK2013年度放送予定)に描かれる山本八重のような人が出てきます。彼女は22才頃に会津戦争を籠城して戦い、敗れる。降伏の際には白旗を縫っています。幕末のジャンヌダルクとも言われましたが、彼女もその後京都で社会的地位をつくるのに、やはり20~30年かかったわけです。今度はそれでは間に合わない。
 
復旧復興を加速しないから、地域間の意識の差も温度差も出てくる。いつまでも仮設住宅におかれて、家族がばらばらになってしまっていたり、仕事を失っていたりということが続けば、福島県のイメージは暗くなってきて、ダメになる。
 
未曾有の大災害に立ち向かって復興ののろしを上げ、実行に移していくことが福島県のイメージを高めることになる。福島県の結束もそこにあるんですね。
 
 
 

会津藩が残したサムライの魂

 
幕末について言えば、徳川幕府の旗本たちには剣をとって戦うようなサムライ的精神はなかった。京都の争乱になど対抗できない。そこで会津藩が選ばれた。
 
しかし、テロ行為も頻発するなかで、京都守護職は公的な職務ですから、切った張ったということはできない立場もある。そこで新選組が編成され、ともに動いた。だから両者は一心同体の部分があるわけですね。一方、長州の人も相当気が荒く、武力で革命を起こそうとしているわけですから、双方ともエスカレートしていく。刀を差して歩く時代です。どっちが先に抜くかということだけど、止めようがないよね。だから大変難しいところに会津藩は放り込まれたということでしょうね。
 
会津藩に潤沢な資金力があったわけではありません。京都では腰に握り飯を下げてるサムライがいたら会津藩士と思え、と言われていました。会津藩のサムライは外食禁止。今で言うタクシー券も使っちゃいかんということになっていた。あくまでも歩いて昼はおむすびを食べる。質素というか、貧しいというか、そういう存在でした。だから京都の人からはあまり尊敬されなかった。金を使わない、もてないですよ。だから会津藩にとっては重すぎる役目でしたね。千人から二千人くらいの人が行ったけど、結局会津の農民は思い税負担をせざるを得なくなる。そのために会津全体が疲弊していったということもありました。
 
最終的には戦争になってしまった。裏目に出ましたよね。あまりにその後の損失は大きかった。結局、会津藩士は流民になって、故郷を失う。美化されてもいるけれど、実際の姿はまことに厳しかった。会津武士道を賛美する向きもありますが、そういうものだけではとらえにくい。現実の暮らしのなかで、飢え死にしていったんだからね。罪人という扱いで、凍死するような生活をさせられた。
 
山川健次郎とか、山本八重とか、いろんな人が出るけど、全体から見ればごく一部です。大半の人は困苦のなかで死んでいった。それが実態ですよね。
 
新選組もフィクションを重ねながら美化されていきますが、徳川の武士団がサムライの魂を失っていたなかで、本来の武士道を持つ者たちということで喝采を浴びたんでしょう。それは会津藩士も同じです。だから最後のサムライ、それが新選組、会津藩である。ところが戦争後の難民になってからは違うということでしょうね。
 
明治の頃から庶民は会津藩に賛辞を送っています。夏目漱石も『坊ちゃん』で登場させていますが、会津人というのは一目おかれている面もあるんですね。玉砕で戦ったという意味での尊敬。だから結構支援者も出てきて、学者が育ったりしました。
時代は少し下りますが、野口英世も会津の末裔ですね。総合南東北病院の渡邉一夫理事長ともどこか重なって見えてくる存在ですが、もともと天才的な人で、手にやけどをし心に傷を負い、ものすごい努力をした。卑屈にならず医者になろう、アメリカに渡ろうと決意する。アメリカでは自分は会津藩のサムライの末裔だと言っています。白虎隊の末裔だとも言っている。JAPANESE SAMURAI。
 
彼の祖父は京都守護職にくっついて前後二回京都に行っているんです。京都守護職はサムライだけでなく、職人やら農民やら皆連れて行くんですよ。だからどんな役だったのかは分からないけど、京都に行けば会津のサムライという風にも見られたし、だからあながち嘘ではない。だからそういう会津のサムライの魂という影響は受けていると思いますよ。
 
彼は最後に黄熱病と格闘する。細菌説を唱えて一時期世界から賞賛されるけれど、それは間違いだった。当時は電子顕微鏡もなくてよく分からなかったわけですね。だから自分に病原菌をうつして、自分が作ったワクチンをあえて試すということをした。しかし、それは効かない。責任の負い方でしょうか。アメリカではそういう見方もある。野口はやっぱりJAPANESE SAMURAIだったんだ、というわけですね。
いずれにせよ、会津の戦後は自分の力で生きていかなければならなくなり、そこからいろいろな人が出てきた。今回の震災でも親を失ってしまった子供たちが何百人もいる。この人たちのなかから東北を代表するような政治家や学者が出てくる可能性はあると私は考えます。人と違った経験、思いがありますから。災害や戦争というのは非常に悲惨だけど、そこから這い上がっていくのもまた人間です。それをなしとげる若い人が、これからどういう生き方をしていくか、そうした高まりがこれから必要だと思います。